日本人に多様性は似合わない!?

藤田にも戦争に協力した自覚はあったのだと思います。ただ太平洋戦争敗戦後、社会が手の平を返すように一変し、戦争協力者としての非難一色に染まる日本に嫌気がさして、日本を去ったのだと思います。

さて、本題の真鍋博士の話にもどります。博士は1958年に渡米、アメリカ国立気象局に入り、後に主任研究員になります。1975年に米国の市民権(国籍)を取得。

1997年に日本へ帰国し、「地球フロンティア研究システム」の地球温暖化予測研究領域の責任者に就任しますが、2001年に辞任し、再び渡米しています。

当時の報道では、研究内容について所管元である科学技術庁の官僚から難色を示されたことが辞任のきっかけとされ、縦割り行政が学術研究を阻害していることに嫌気がさしたとも言われています。

結局のところ、日本の同調圧力の強さは、いつの時代も不変なのかもしれません。ただ、ここからが微妙で、実は日本が成功した時代は、この“同調圧力”や“均一性”が、その成功を支えていた気もするのです。

たとえば、戦後の高度成長期以降、モノづくりで世界を制覇し、”一億総中流”を謳歌した栄光の時代。古くは明治維新後の数十年間。これらの時代は、まさに一丸となって突き進む、同調圧力こそが成功の源泉だったとも思えます。

仮に21世紀が「多様性の時代」だとすると、日本人は耐え忍ぶしかないのかもしれませんね。人間も、民族もそんなに簡単に変われるものではないですし。