日本に捨てられた天才画家
ただ個人的には、博士の発言は“たしかにそうだけど、いまに始まった話ではないしな”という印象もありました。
今回の「日本に帰りたくない」発言で唐突に思い出したのは、ある天才画家のことです。その人の名は藤田嗣治。1886年に東京で生まれた日本を代表する画家の一人ですから、ご存じの方も多いと思います。
代表作としては「ジュイ布のある裸婦(1922年)」「五人の裸婦(1923年)」などがあります。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などで西洋画壇の絶賛を浴びました。当時のパリ画壇のスターでもありました。
1933年に日本に帰国。その後、藤田は、陸軍報道部から戦争記録画(戦争画)を描くように要請され、何枚もの戦争画を描くことになります。このことから戦後、戦争協力者のレッテルを貼られ、非難を逃れるように1949年に再びフランスへ渡ります。
その後、1955年にフランスに帰化。晩年、藤田はこう語っています。「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」。
藤田の戦争画の代表作「アッツ島玉砕」(1943年)は東京国立近代美術館に所蔵されており、常時ではありませんが観ることができます。印象としては圧倒的に重たく、暗い作品です。実物を観たときに、“よくこれで帝国陸軍はOKを出したな”と思ったものです。