15年、フランスの社会党政権に抜擢されて経済・産業・デジタル大臣(経産大臣)を務めていたマクロン氏は、フランス国内の雇用の拡大を目的に日産とフランスの自動車大手ルノーの合併を画策したともいわれています。

14年フランスでは2年以上保有する株主の議決権が2倍になる「フロランジュ法」が成立。これにより、フランス政府によるルノーの議決権にも影響することになります。

しかしルノーの最高経営責任者(CEO)であるゴーン氏は、株主総会で「1株1議決権」を維持する案の採決を目指します。この動きに対してフランス政府はルノーの持ち株比率を15%から一時的に引き上げ、株主総会の採決を阻止。

ルノーは日産株を43%保有しており、日産の経営に大きな影響力を持ちます。一方日産はルノー株を15%保有しているものの、議決権はありません。

フランス政府はルノーに、日産との経営統合を要請したといわれていますが、ゴーン氏の大反対及び日本政府の反対もあり、敢え無く野望は潰えます。

15年末、日産は書面においてルノーが日産の取締役会を支配したり、株主総会の決議を反故にしないという確約を得ました。

またルノーの非戦略的な株主投票の際、フランス政府の議決権に上限を設定します。

さらに日産はルノーやフランス政府が合意に違反した場合、保有するルノー株比率15%を25%以上に引き上げ可能となりました。会社法により日産はルノー株を25%以上保有すれば、ルノーの日産への議決権を無効にすることができます。

程なくマクロン大臣も政権を去り、合併話は立ち消えになったかに見えました。

17年5月にマクロン氏がフランス史上で最年少の大統領に就任

しかし、マクロン氏は、なんとフランス大統領として再びゴーン氏の前に現れます。

17年のフランス大統領選挙では、マクロン氏が当選しました。