【東京五輪】サンクコストは考えてはならない

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上記の考察で重要なことは、「施設を建設するために巨額の費用を支払ったのだから、取り壊すのは勿体無い」という発想を排除することです。勿体無いという気持ちはわかりますが、それは合理的な判断を妨げてしまうからです。

施設を取り壊しても残しても、建設のための巨額の費用は戻って来ません。こうした費用のことを「サンクコスト」と呼びます。サンキューのサンクではなく、沈んでしまった、という意味の英単語です。

どうせ戻ってこないのですから、サンクコストは今後の選択肢を考える際に考慮してはならないのです。

払ってしまったコストのことは忘れて、どうすれば今後の収支が最も改善するのかを未来思考で考えるべきなのです。

筆者がサンクコストの説明として好んで用いるのは、「買った本の最初がつまらなかったら、どうするか」です。買った代金が勿体無いから最後まで読む、という人も多いでしょうが、そうすると買った代金と読んだ時間の両方を損する事になるのです。

サンクコストの考え方からすれば、買った本の代金は戻ってこないのだから、今から自分が幸せになるために何をすべきか考えるべきです。つまらない本を我慢して読むか、散歩に行くか。筆者なら後者を選びます。

問題は、「つまらない本を買った自分が馬鹿だった」と思いたくないために、本の最後が面白いという僅かな可能性に期待して読み続ける人がいることです。

新国立競技場のような場合には、担当者が取り壊しを提案することで「こんな競技場を建てた責任者は馬鹿だった」と言う意味にとられると、上司の機嫌を損ねませんから、事態は一層複雑かも知れません。

本稿が「新国立競技場は、五輪会場として既にコスト分のメリットを日本に与えてくれたかも知れないので、建設自体が愚かだったとは思わない」と記したのは、そういうことにして、担当者に取り壊しを提案する時の心理的抵抗を取り除こう、という意図もあるわけです。