JR赤字ローカル線には代替手段がある事に注目
民主主義社会だからといって、なんでも多数決で決めれば良いというものではありません。
たとえば「掃除当番を毎日同じ人に担当させる」というような法案は、多数決をすれば通るかも知れませんが、正義とは言い難いでしょう。
あるいは、「少数の障害者のための設備を作る費用を多数の健常者が負担する」といった法案については、多数決をすれば通らないかも知れませんが、是非とも実現させたい所です。
その意味では、地方の人々が本当に可哀想で、「鉄道を廃止されたら生活できない」という状況か否かが重要となります。
少数者が生活できなくなるような決定を「多数の横暴」で行ってはならず、大都市の人々が費用を負担せざるを得ないからです。
しかし幸い、赤字ローカル線の場合には、廃止しても問題は小さそうです。たとえばバス路線で代替する事によって、地方の被る被害は相当程度軽減する事ができるわけです。
もちろん、地方の人々の多くは赤字ローカル線の存続を望むでしょうが、望みをすべて叶えるために都市部が莫大な負担を強いられるとすれば、その必要は必ずしもないでしょう。
人口が増加し、経済が発展しているならば、赤字ローカル線を維持する事は可能かも知れません。また、維持することで東京一極集中が予防できるなら、多少のコストを支払っても維持すべきかも知れません。
しかし、人口が確実に減っていき、赤字ローカル線の乗客数が更に減少していく事がほぼ確実である現在、「今の赤字額なら何とか都市部が負担できるが、10年後は無理だろう」という路線も多いはずです。
それなら、はやめに「見切りをつけ」て、バスに転換しましょう。その分、バスの運行本数を増やす等々にコストを振り向けてはどうか、というのが私見です。
余談ですが、物には限度があります。「100歳の末期癌の高齢者を1日延命するための薬が1億円だとしても国民全体で負担すべきか」と言われると筆者は尻込みしてしまいます。
それと同様に、ローカル線が廃止されるとバス代替では生活できなくなる人がゼロではなくて数人いたとしても、「数人のために何百億円ものコストを払って運行を続ける」という選択肢は避けたいですね。
そうした場合には、莫大な補助金を支払って都市部に転居していただくといった「割り増し退職金」的な発想も必要となるでしょう。