「同一労働同一賃金」と無縁だった日本
まず、同一労働同一賃金の歴史をみてみましょう。同一労働同一賃金は国際労働機関(ILO)を中心に展開されてきました。まず、1919年のヴェルサイユ条約において、「同一価値の労働に対しては男女同額の報酬を受けるべき原則」が提案されました。
同一労働同一賃金で有名な国としては、スウェーデンがあげられますが、1960年代から社民党政権下で中核的な政策として同一労働同一賃金を推進します。
当時の日本では、同一労働同一賃金が“実現を視野に入れた政策"として議論されることは皆無でした。高度成長期に突入した日本は、職能給をベースとした「年功序列」「終身雇用」という働き方を選択しましたから。
職能給については、最近さまざまなメディアで解説されていますが、これはポジション給ともいうべき「人に仕事をつける」という考え方。
これに対して「仕事に人をつける」のが職務給で、最近なにかと話題になっているジョブ型雇用がこれにあたります。欧米では基本的に職務給が基本ですから、本来的に同一労働同一賃金が導入しやすいという側面もありました。
海外の場合は、企業の枠を超えて業界内の同一賃金を志向していますが、これは産業別の労組が存在するからで、日本での実現は困難だとも言われています(日本は原則的に企業別労組)。