最後まで誰よりも頑張ったバウアー

年が明け、2018年になり、1月2月と過ぎて行き、また軟便が続くようになりました。

この時点で漢方の先生や胃腸の専門医には相談していました。

食事療法も再度見直しをして、とにかく症状が安定するように、少しでも改善するように力を入れていました。

しかし、その甲斐も虚しく、また水下痢をするようになってしまいました。

それからというもの夏が近づくにつれ、体調がいい時が一週間の半分、体調が悪い時が半分、という感じで間隔がだんだん短くなっていきました。

それでも体調の良い時には、朝晩合わせて3時間散歩をして、楽しく散歩をしました。

そんな日々を過ごしていましたが、明らかにバウアーの体重は減少していき、夏が過ぎると明らかに痩せ細って行きました。

何をしても症状は安定せず、病院の先生にもそろそろ覚悟を決めてくださいと初めて言われました。

この病気の恐ろしいところは、ステロイドの耐性ができてしまうと症状を抑えることができないことです。

恐れていた時がついに来たという感じでした。

10月5日、なんとか5歳の誕生日を迎えられました。「これが最後かもしれない、いや、最後にならないで」と祈りました。

10月27日、体重がいよいよ7キロまで減ってしまったバウアーが、この日の深夜お腹が痛いと初めて声を上げて鳴いたのです。今までそんなことは一度もありませんでした。

朝方まで発作のような症状が続き、明らかに脱水症状にもなっていたので、朝一で慌てて病院に連れて行きました。

病院の先生には余命2ヶ月ですと告げられました。

覚悟をしていたつもりでしたが、明らかに動揺してしまいました。

この先の治療についても「バウアーが苦しむことになるのか、それは飼い主のエゴになるのではないか」とても悩みました。

それからしばらくは二日に一度病院に通い、ステロイドの皮下注射をし、栄養剤の点滴をしてもらっていました。

毎日毎日祈る日々でしたが、ついに11月25日、一切食事をとらなくなりました。

その日はちょうど病院で「もう一週間持たないと思う」と言われていました。

前日まではお肉だったら食べていたのですが、お肉すら食べられなくなっていました。

私は「もしかしたらこれだったら食べるかもしれない」と思いつき、私がたまに疲れた時に食べていた、中にクリームが入っているワッフルを、自転車をすっ飛ばして買いに行きました。

いつもバウアーは欲しがっていましたが、もちろん食べさせてはもらえませんでした。

この日、鼻先に少しクリームをつけたワッフルを持って行くと、一瞬目を輝かせてパクっと食べましたがこれが最後で次の日にはもう二度と食べることはありませんでした。

そして迎えた11月27日。

一週間前から会社に事情を告げ、溜まっていた有給休暇の取得をしていたので、日中に犬用のカートに乗せてお散歩に行きました。

途中お散歩友達にも会えました。草むらに座り、バウアーを抱っこしながら、何も考えることが出来ず、しばしぼーっとしていました。

ただ「この時間がずっと続いてほしい」そう強く思っていました。

そして帰ってきてゴロゴロしていると、バウアーの呼吸がだんだんと荒くなってきました。いよいよか・・・と覚悟を決め、バウアーを抱っこしました。

もう意識はほぼなく、目だけ開いている状態でしたが、懸命にバウアーの名前を呼びました。

すると意識はもうないはずなのに、最後に私の目を見つめてくれたのです。最初に出会ったときのように。

そして最後大きく息を吸い、息を引き取りました。

私とバウアーの二人三脚での暮らしは、たった5年で過ぎ去ってしまいました。

しかし私の人生を変えたといっても過言ではないほど、輝きに満ちた5年間だったと思います。

柴犬バウアーの闘病で学んだ事

早い子では3ヶ月、長くても2年で命を落とすことが多いこの難病ですが、バウアーは3年も頑張ってくれました。感謝しかありません。

この3年の闘病生活で私が学んだことは、まずどんなことでも専門家にきちんと聞くことです。

今回バウアーの件で最初はなかなか病名が判明しませんでした。獣医といっても、胃腸の専門医でなければ判明できなかったのです。

またインターネットでどんなに検索しても、本当にバウアーに合っている治療法は見つけられませんでした。

確かに経験談として参考にするのはいいと思いますが、インターネットだけで情報を判断するのは大変危険だと思います。

もし私がきちんと専門医に受診せず、インターネットの情報だけを鵜呑みにしてバウアーの治療に当たっていたらと思うと非常に怖く感じます。