怒りの矛先はデジタル庁に

DXの本質は部分最適ではなく全体最適です。つまり「ジョブ型雇用」という部分最適ではなく、そのための社会保障の在り方(現役世代支援の強化等)や国家像などの、より上位のビジョンにコミットするのがDXの本質です。

そこまで求めるのは、経産省も一部署ですから、酷というものかもしれません。ではデジタル庁なのでしょうか。前提としてデジタル庁は“情シス"ではありませんよね。平井デジタル改革相のインタビュー等を読むと、言葉の端々から「情シスではない」と意思が読みとれるのですが。

現在、平井大臣はコンセプトとして「ソサエティー5.0」によく言及していますが、具体像は闇のなかです。

そもそも「ソサエティー5.0」は科学技術の話であり、「ソサエティー」の話にはなっていません。つまり「デジタル」の話であり「経営」の話ではありません。

DXレポート2の一節で、<経営>という言葉を<政治>に置き換えてみます。

『<政治家>は、<政治>と IT が表裏一体であるとの認識を持った上で(中略)ビジョンや事業目的といった上位の目標の達成に向けて、デジタルを使いこなすことで<政治>の課題を解決するという視点が必要』

まさにその通り。これをデジタル庁には是非、やって欲しいと思います。社長が範を示さなければ社員は動きません。これって偽りのないサラリーマンの心情ではないでしょうか。

榎本 洋