もし、実の母や他人の不幸をおもしろがる友人に話していたら、きっと「ねえ、あれはどうなったの?」と蒸し返して、癒え始めた傷が開き、ムダな被害者感情にさいなまれていただろう。

もし、自分が有名人なら、心のかさぶたを無理やりはがされるような瞬間に常に直面しているのかもしれない。どれほどつらいか推しはかることすらできないくらいだ。

おわりに

不倫をしたい人、不倫をしてしまった人は、された相手の心を日本刀でまっぷたつにして出血多量のダメージを与える可能性を想像したことがあるだろうか。将来の子どもの家族観に大きな影響を与えていることを知っているだろうか。

そして、相手が怒りで狂っているのなら、「頭おかしいんじゃないの?」なんて言わず、その原因が自分にあるということを自覚すべきだろう。

一方で、相手の過失を「断罪すること」は簡単だ。でも「許すこと」には時間もエネルギーも要する。

筆者の場合、長い葛藤の末「許すこと」を選択して、今のところは成功している例だと思う。当時、インターネットで「不倫をされたときの方法」を延々と調べ、その内容が全く参考にならず、絶望した覚えがあるので、一つの経験談としてここに記した次第だ。

これが正解だったかどうかはもっと年をとるまでわからない。でも、自分と関係ない相手に対し、安易な正義感から「すべて失って不幸になれ」と言うことは、今まさに深く傷ついている最中の相手のためにならないことは確かだと言える。

「夫婦のことは、夫婦にしかわからない」。これに尽きる。

清村 アリス