「高額療養費制度は、年収1000万円クラスの世帯だと使えないらしい」。そんな話を聞いたことがある人もいるかもしれません。会社の同僚や親戚から聞いた話を鵜呑みにして、いざ大きな手術や入院の場面で「うちは所得が高いから対象外だろう」と申請自体を諦めてしまう人も、実際には少なくないようです。
結論から言えば、この制度に所得による利用制限は存在しません。ではなぜ、そうした誤解が広まっているのでしょうか。
この記事では、高額療養費制度そのものの基本的な仕組みを解説した記事より一部を引用・参照しつつ、年収1000万円クラスの世帯が高額療養費制度を使うとどうなるのかを、公的資料にもとづき編集部が整理します。
1. 高額療養費制度に、所得による利用制限は存在しない
まず前提を確認します。高額療養費制度は、医療費が高額になった場合に自己負担額の上限を設ける公的な仕組みです。この上限額は所得水準によって変わりますが、「一定の年収を超えると制度自体の対象外になる」という規定は存在しません。
1.1 70歳未満は所得に応じて5区分、年収1000万円台も含めすべての区分に上限額が設定されている
70歳未満の人の自己負担限度額は、所得水準に応じて5つの区分に分かれています。最も所得が高い区分(年収約1160万円以上)にも上限額は明確に設定されており、「対象外」という区分は存在しません。
この5区分は、加入している健康保険の「標準報酬月額」(給与や賞与をもとに算出される等級)によって機械的に決まります。自己申告で区分を選ぶような仕組みではなく、毎年の標準報酬月額の改定にあわせて、区分も自動的に見直されます。
1.2 【所得区分別・自己負担限度額(月額)】
- 年収約1160万円〜:27万300円+(医療費-90万1000円)×1%
- 年収約770万〜1160万円:17万9100円+(医療費-59万7000円)×1%
- 年収約370万〜770万円:8万5800円+(医療費-28万6000円)×1%
- 〜年収約370万円:6万1500円
- 住民税非課税世帯:3万6900円
なお、住民税非課税世帯の区分は、住民税非課税世帯が受けられる優遇措置の1つとしても位置づけられています。
1.3 令和8年8月の改定で「年間上限額」が新設された
令和8年8月診療分から、高額療養費制度の自己負担限度額は全所得区分で引き上げられました。あわせて、令和8年8月〜令和9年7月の1年間を対象にした「年間上限額」が新設されています。
年収約770万〜1160万円の区分では、年間上限額は111万円です。月ごとの自己負担が積み重なっても、年間の上限に達した後は、加入している医療保険者への申請で超過分の還付を受けられます。多数回該当の限度額(9万3000円)は今回の改定の対象外で、据え置かれています。
2. 【編集者の視点】
制度上、高額療養費は「保険診療である限り誰でも使える」という設計になっています。所得区分はあくまで自己負担上限の計算式を分けるためのものであり、区分そのものが「利用可否」を左右するわけではありません。
この点を混同すると、本来は数十万円単位の払い戻しを受けられるはずの人が、申請そのものを諦めてしまうおそれがあります。所得が高い人ほど「自分は制度の対象外だろう」と思い込みやすい傾向があるとすれば、それこそが見落としやすい落とし穴だといえます。
3. 年収1000万円は「年収約770万〜1160万円」の区分に該当する
次に、年収1000万円の場合に具体的にどう計算されるのかを確認します。
3.1 編集部試算:医療費100万円がかかったケース
年収1000万円は、上記の表でいう「年収約770万〜1160万円」の区分に該当します。この区分の計算式は「17万9100円+(医療費-59万7000円)×1%」です。仮に1か月の医療費総額が100万円だった場合、自己負担限度額は17万9100円+(100万円-59万7000円)×1%=18万3130円になります。
健康保険の窓口負担は原則3割のため、何もしなければ医療機関の窓口では30万円を支払うことになります。高額療養費制度を利用すれば、実際の自己負担は18万3130円まで下がり、差額の11万6870円が払い戻される計算です。
3.2 【年収1000万円・医療費100万円ケースの試算結果】
- 窓口負担(3割):30万円
- 高額療養費適用後の自己負担限度額:18万3130円
- 払い戻される差額:11万6870円
4. 先に自己負担額を抑えられる「限度額適用認定証」の仕組み
ここまでは、いったん窓口で3割分を全額支払い、後から高額療養費として払い戻しを受ける流れを前提にしてきました。実はもう1つ、窓口での支払い自体を最初から自己負担限度額までに抑える方法があります。
4.1 事前申請で、窓口負担そのものが上限額までに収まる
加入している健康保険組合や協会けんぽに事前に申請し、「限度額適用認定証」(またはマイナ保険証・資格確認書での限度額情報の連携)を医療機関の窓口に提示すれば、その場での支払いを自己負担限度額までに抑えられます。年収1000万円クラスの区分でも、この仕組みを使えるかどうかに所得による制限はありません。
入院や手術のように医療費が高額になることが事前に分かっている場合は、この認定証を用意しておくことで、一時的に数十万円単位の立て替えをせずに済みます。
5. 同じ世帯の家族の医療費も合算できる「世帯合算」
高額療養費制度には、同じ医療保険に加入している家族の自己負担額を合算できる「世帯合算」という仕組みもあります。年収1000万円クラスの世帯であっても、この仕組みを使える点に変わりはありません。
5.1 1人あたりの自己負担額が上限に届かなくても、合算すれば対象になる場合がある
例えば、本人の医療費の自己負担額が上限額に届かなくても、同じ月に配偶者や子どもも医療機関を受診していれば、それぞれの自己負担額(一定額以上のもの)を合算した上で、世帯全体の上限額を超えた分が払い戻されます。1人分の医療費だけを見て「上限に届かないから対象外」と判断してしまうと、この合算の仕組みを見落とすことになります。
合算の対象となるのは、同一月・同一の医療保険に加入している家族の自己負担額です。共働きで別々の健康保険に加入している場合など、合算できないケースもあるため、加入している保険者に確認しておくと確実です。
特に、家族の中に持病があって定期的な通院が必要な人がいる世帯では、本人の医療費だけを見て判断せず、世帯全体での合算を意識しておくと、想定より大きな払い戻しにつながることがあります。
6. 「使えない」という誤解が生まれる、2つの背景
では、なぜ「年収1000万円だと使えない」という話が出てくるのでしょうか。考えられる背景を2つ整理します。
6.1 背景1:自己負担限度額の高さを「対象外」と勘違いする
所得区分が上がるほど、自己負担限度額の基準額も上がります。最も高い区分(年収約1160万円以上)では月27万300円という金額が基準になるため、「これでは使っても意味がない」「実質的に対象外」といった印象を持たれやすいと考えられます。しかし、限度額が高いことと、制度の対象外であることはまったく別の話です。
6.2 背景2:多数回該当・世帯合算の適用条件との混同
高額療養費制度には、直近12か月で3回以上該当した場合に上限額がさらに下がる「多数回該当」や、同じ世帯の複数人の自己負担額を合算できる「世帯合算」といった仕組みがあります。これらは追加の適用条件を満たす必要がある制度ですが、この「条件を満たさないと使えない」という話が、高額療養費制度そのものの利用条件と混同されている可能性があります。
7. 介護費用と合算できる「高額医療・高額介護合算療養費」
年収が高い世帯ほど、医療費だけでなく介護費用の負担も重なりやすいものです。1年間の医療費と介護費用の自己負担を合算し、基準額を超えた分が払い戻される「高額医療・高額介護合算療養費」という制度もあります。
7.1 医療と介護、両方の自己負担がある世帯は見落としやすい
この制度も、高額療養費制度と同様に所得区分に応じて基準額が設定されており、所得が高いことを理由に対象外になることはありません。ただし、医療保険と介護保険それぞれの1年間(8月〜翌年7月)の自己負担額を合算して判定するため、単月の医療費だけを見ていると見落としやすい仕組みになっています。
親の介護費用を負担している現役世代や、本人が持病の通院と親の介護を同時に抱えている世帯では、医療費と介護費用を別々に考えるのではなく、年間を通じた合算の対象になっていないかを一度確認しておく価値があります。
この制度も申請しなければ払い戻しを受けられない点は共通しています。医療費と介護費用のどちらも一定額を超えている自覚がある場合は、加入している医療保険と介護保険の両方の窓口に、合算制度が使えるかどうかを問い合わせてみることをおすすめします。
8. 【編集者の視点】
実務上重要なのは、「自分の所得区分でいくらが上限になるか」を先に確認しておくことです。高額療養費制度は原則として申請が必要な制度のため、上限額を知らないまま窓口で全額を支払い続けてしまうと、本来払い戻されるはずのお金を受け取り損ねるリスクがあります。
加入している健康保険組合や協会けんぽの窓口で、自分の標準報酬月額に基づく所得区分を事前に確認しておくと安心です。所得区分は毎年見直される可能性があるため、昇給や賞与の変動があった年は特に、最新の区分を確認しておくとよいでしょう。
また、勤務先の担当部署によっては、標準報酬月額の等級を教えてくれる場合もあります。自分がどの所得区分に該当するのか把握しておけば、いざというときに慌てず申請の準備を進められます。
※本記事は、編集部が全国健康保険協会(協会けんぽ)・大阪市が公表する公式の最新一次資料を直接確認の上、執筆・検証しています。
9. まとめ
- 高額療養費制度に年収による利用制限はなく、所得が高くても必ず対象になります。
- 年収1000万円は「年収約770万〜1160万円」の区分に該当し、自己負担限度額は17万9100円+(医療費-59万7000円)×1%です。
- 医療費100万円のケースでは、自己負担限度額は18万3130円となり、差額の11万6870円が払い戻される計算になります。
- 「使えない」という誤解は、自己負担限度額の高さや、多数回該当・世帯合算といった別制度の条件と混同されて生まれているとみられます。
高額療養費制度は、所得の高低にかかわらず、医療費が高額になった際の家計の備えとして機能する制度です。年収が高いからと申請を諦める前に、自分の所得区分での自己負担限度額を確認することをおすすめします。
具体的な所得区分の判定や申請手続きについては、加入している健康保険組合や協会けんぽ、市区町村の国民健康保険担当窓口に確認することをおすすめします。
10. よくある質問
10.1 Q. 年収1000万円でも高額療養費制度は使えますか。
A. 使えます。高額療養費制度に所得による利用制限はなく、所得区分に応じた自己負担限度額が適用されるだけです。
10.2 Q. 年収1000万円の場合、自己負担限度額はいくらですか。
A. 「年収約770万〜1160万円」の区分に該当し、17万9100円+(医療費-59万7000円)×1%で計算されます。
10.3 Q. 最も所得が高い区分だと、実質的に使えないのと同じではありませんか。
A. そうではありません。自己負担限度額の基準額が高くなるだけで、それを超えた分は他の区分と同様に払い戻しの対象になります。
10.4 Q. 多数回該当や世帯合算も、年収が高いと使えなくなりますか。
A. 多数回該当・世帯合算にも所得による利用制限はありません。ただし、直近12か月で3回以上該当している、同じ世帯であるといった、それぞれ別の適用条件を満たす必要があります。
10.5 Q. 窓口で一旦全額を払わずに済む方法はありますか。
A. あります。事前に「限度額適用認定証」を申請し医療機関の窓口に提示すれば、支払い自体を自己負担限度額までに抑えられます。所得区分による制限はありません。
10.6 Q. 高額療養費の申請はどこで行いますか。
A. 加入している健康保険組合、協会けんぽ、市区町村の国民健康保険担当窓口のいずれかで手続きします。
10.7 Q. 家族の医療費も合算できますか。
A. 同じ月・同じ医療保険に加入している家族であれば、自己負担額を合算できる「世帯合算」の仕組みがあります。年収が高い世帯でも、この仕組みを使える点に変わりはありません。
10.8 Q. 自己負担限度額の所得区分は誰が判定しますか。
A. 加入している健康保険組合や協会けんぽ、市区町村国保が、標準報酬月額や住民税課税状況などをもとに判定します。自分で区分を選ぶものではありません。
10.9 Q. 令和8年8月の改定で新設された「年間上限額」とは何ですか。
A. 令和8年8月〜令和9年7月の1年間の自己負担額に上限を設ける仕組みです。年収約770万〜1160万円の区分では111万円で、達した後は加入している医療保険者への申請で超過分の還付を受けられます。
参考資料
齊藤 慧
