母になって思うこと、それは「我が子を幸せにしたい。自分の命を捨ててでも、この子のことを守りたい」。でも、それを突き詰めてしまうと、「子どもを幸せにするためには、自分を犠牲にしなければ…」という結論に達してしまいがち。実際にそんな風に自分を追い詰めて、苦しんでいるママも多いような気がします。
果たして本当に子どもの幸せは、自己犠牲の上にしか成り立たないのでしょうか?
好きに振舞うことに罪悪感
毎日毎日休む間もなく子どものお世話。「あぁ、たまにはひとりでお茶したい。自然に目が覚めるまで好きなだけ眠りたい。映画を見たい、誰にも邪魔されずにドラマが見たい」なんて思うだけで実行には移せない、それが子育て。
だって、自分の好きなようにふるまってしまったら、子どもの面倒は誰が見るの…? そして周りにこう言われるに決まっている。
「そこまでして自分の時間が欲しいの? じゃあなんで子ども産んだの? 子どもがかわいそう」
子どもを幸せにするためなら、多少の苦労はいとわないし、子どもの笑顔を守るためならなんでもできる。だからといって、自分のしたいこと、夢、希望、すべてをあきらめたいとは思わない。でも、それを大声で言うのは憚られる。
なぜなら、まだまだ「子育てとは究極の自己犠牲である」という風に考えている人がたくさんいるからかもしれません。そして何より、自分自身がその考え方にとらわれているのではないでしょうか?
「自分の時間が欲しい」「何かひとつでいい、自分の望むことをやりたい」
そう思うのはいけないことではありません。だって、おむつを濡らしている子どもやお腹が空いたと泣きわめく子どもを無視してまで自分のしたいことを優先したい、と思っているわけではないでしょう?
きっと「自分のやりたいことはたくさんある。でも、今はどう考えてもそれができない状況だ。だから諦めざるを得ない」というのが正直な気持ち。なぜなら、子どもを誰かに預けてまで自分の時間を作るのに罪悪感を持っているから。そんなママは多いような気がします。
自己犠牲は美徳ではない
「子どものために我慢しなきゃいけない」「子どものために、あれもこれも諦めなきゃいけない」そう思って毎日を過ごしてしまうのは、母親にとっても子どもにとっても、決して良い環境だとはいえません。
でも、「我慢するのが当り前、あきらめて当然。だってそれが母親なんだから」なんて言われてしまうと返す言葉もなくなってしまいますよね。
では、少し考え方を変えてみましょう。
「他の人なら我慢できないけど、これは我が子だから我慢できること」
「我が子のためだから頑張れる」
そんなふうに思考をチェンジできないでしょうか?
たとえば隣人の騒音がうるさくて眠れない、となると許せませんよね? でも、我が子の夜泣きなら、しんどいけれど、辛いけれど「起きなきゃ」と気合いを入れられませんか? それはあなたが、自分の睡眠時間を犠牲にしてまで我が子に奉仕しているわけではないのです。あなたが、我が子のために起きて抱っこしてあげることを選択したのです。
「子育ては自分を犠牲にすること」
この考え方はまったく間違っているとは言えません。でも、自分の時間や欲求を何でもかんでも我慢する必要はないと思います。
「子どもの気持ちが一番」「子どもファースト」
これもおっしゃる通り。でも、「子どもを一番に考えなければいけないから、夫や自分のことは二番、三番に」と思う必要はないのです。
「子どもが一番、自分も一番」
これでいいのではないでしょうか?
子どものことは大切。だから毎日公園だって連れていくし、繰り返し同じ絵本を読んであげるし、夜泣きしたらあやしてあげる。でも、自分のことも大切だから、心が悲鳴をあげそうになったら、夫や実家、もしくは民間の施設に頼んで自分の心と体を休める時間を確保する。それでいいんです。あなたが「いい」と思うのなら、それが正解なのです。
子どもの幸せは、母親の自己犠牲の上でしか成り立たないのか? その答えは「No」です。なぜなら、子どもは、ママと「一緒に」ハッピーでいたいのです。
極論に振り回されないで
「自分を犠牲にしてまで子育てしたくない」というのは決して「自分のしたいことを優先したいから、子どもの気持ちは無視する」ということではありません。子どもが大切だからこそ、自分を大切にしてあげてほしい、筆者はそう思います。
「自分を犠牲にしなきゃいけないの?」「自分の幸せについて考えるのはワガママなの?」なんて悩んでいるお母さん。
そんなふうに悩むことこそ、あなたが子どもを愛している証拠。子どもの笑顔のために、どうか自分が幸せでいることをあきらめないでくださいね。
大中 千景