「欲張りは悪いことではない。経済がうまく回るのは、人々が欲張りだからだ」と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。

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「欲張りなのは悪いことです」と道徳の先生は教えるでしょうが、経済の先生はそうではありません。人々が欲張りだから、経済はうまく行くのです。したがって、経済政策は「人々が欲張りであることを利用してどのように経済をうまく回そうか」と考えることになります。

居酒屋で酒が飲めるのは、人々が欲張りだから

筆者が仕事帰りに、居酒屋で酒を飲むとします。なぜ、筆者は酒にありつけるのでしょうか。居酒屋の主人が道徳の先生のように心優しいから、筆者のために酒を仕入れておいてくれたのでしょうか。違いますね。

筆者が酒にありつけるのは、主人が欲張りだからですね。「酒を仕入れておけば、客が来た時に酒が売れて儲かるだろう」と考えるわけです。もしも主人が欲張りでなかったら「酒が売り切れているけれど、仕入れるのが面倒だから、仕入れない。店の売り上げが減って儲けが減っても構わない」と考えてしまうので、筆者は酒にありつけないかもしれません。

それ以前に、居酒屋の主人は、そもそも欲張りだからこそ居酒屋を開店しようと考えたわけですね。主人が欲張りでなかったら「居酒屋を経営するのは面倒だから、やめておこう」と思ってしまい、筆者の通勤経路には居酒屋がない、という目に遭っていたかも知れませんから(笑)。

同様に、酒を生産する人、それを居酒屋まで運ぶ人、等々も、欲張りだから酒を生産し、酒を運ぶわけです。皆が欲張りだから、筆者は酒が飲めるのです。

強欲商人でさえも経済に貢献している

江戸時代の強欲商人のことを考えてみましょう。コメが不作の年にコメを買い占め売り惜しみして大儲けをした「憎むべき」人物像ですね。しかし、彼等のおかげで日本人は生き延びたのかもしれません(笑)。

夏の天候不順で、今秋の収穫量が例年の半分であることが予想できたとします。強欲商人は、コメの買い占め売り惜しみを始めますから、コメの値段が例年のたとえば4倍になります。

そうなると、人々は例年の半分のコメを例年の2倍の金額で購入し、飢えた胃袋と減って行く貯金残高で怒り心頭になりながら細々と暮らします。強欲商人を恨みながら。

一方、強欲商人がいなければ、何も起きません。コメの値段は例年通りで、人々のコメ消費量も例年通りです。そして半年が過ぎたとき、日本の国内にコメが全く残っていないことに人々は気づいて愕然としますが、時すでに遅しです。日本人は全員が飢え死にしていたでしょう。

そうです。強欲商人のおかげで日本人は生き延び、日本国も存続できたのです。ここで重要なことは、庶民が食べたコメの量は強欲商人がいてもいなくても同じだった、ということです。

強欲商人が食べてしまったのならば問題ですが、彼等の胃袋はそれほど大きくありません。また、彼等は翌年の収穫期までにはコメを売り切ったはずです。来年の収穫期にはコメの値段が暴落することを強欲商人は熟知しているので、それまでにできるだけ高い値段で売り切ろうと努力するはずだからです。

人々が欲張りであることを否定して失敗した共産主義