人々が欲張りであるから経済がうまくいく、と言ったのは、経済学を作ったアダム・スミスです。これに反対したのがマルクスで、彼が唱えたのが「共産主義」です。彼は強欲商人等々が儲けることを認めず、平等な国を作ろうと考えたのです。
マルクスの理論である共産主義を実行したのがソ連でした。平等な国を作ろうとしたのです。しかし、うまくいきませんでした。
平等な国では、当然ですが、すべての国民の給料は同じです。そうなると、真面目に働いてもサボっても給料が同じということですから、皆がサボるので、生産量が減り、皆が「平等に貧しい」国になったのです。
人々が欲張りなのに、それを利用せずに否定したがゆえに、誰も真面目に働かず、国全体が貧しくなってしまったのです。貧富の差は、必要なのです。「真面目に働いたら豊かになれる」と思うから人々は真面目に働くのです。
そこで、アダム・スミスの経済学で動いている米国では、貧富の差は悪いことだとは思われていません。日本でも基本的には同様です。
しかし、「欲張り」が良いと言っても「貧富の差」が良いとは限りません。「努力をした人が豊かになる」ならば皆が努力をするので良いのでしょうが、「運の良い人が豊かになる」のでは、皆が努力するようにはならないので、経済はうまくいかないでしょう。
極端な場合には、金持ちの子は苦労せず金持ちになり、貧しい人の子は教育が受けられないので貧しいままである、ということになりかねません。それは問題ですね。筆者としては、相続税をしっかり徴収するべきだと考えています。
努力した人が豊かになるのは良いことですが、その子が金持ちになる必要はありませんから、「相続税をしっかり徴収して、貧しい子供達に教育をしっかり施して、誰でも頑張れば豊かになれる国を作る」というが良いのではないでしょうか。
本稿は、以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。
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塚崎 公義