まぼろしの「君が代」

いよいよ来年に迫ったオリンピック。最近は各種のスポーツで日本人選手の活躍が伝えられ、オリンピックの楽しみが増しています。表彰式で「君が代」を聴く回数が増えるといいですね。

ひと足早く、君が代を調べていたら、こんな歌詞が見つかりました。昭和60(1985)年、当時の松永光文部大臣が報告したまぼろしの君が代です。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまま
君が代は 千ひろの底の さざれ石の うの居る磯と 現はるるまで
君が代は 千代ともささじ 天の戸や いづる月日の 限りなければ

作者は、2番が源頼政、3番は藤原俊成で、ともに平安末期の武将・公家です。

1番は、平安時代の古今和歌集に「読み人知らず」として掲載されていることは有名です。しかし現在、作者の子孫だと称する人が登場しています。

というのは古今和歌集に掲載が決まったものの、作者は木地師。身分が低いため「読み知らず」として掲載され、その褒美として後に、藤原朝臣石位左衛門という名が与えられました。もちろん「さざれ石」に由来した名だそうです。異説もありますが、いずれにしても年月を越えて子孫がご健在というロマンティックさがいいですね。

英国王子の来日で急きょ、用意された「君が代」

大江匡房作の4番のある君が代もあるかと思えば、こんな君が代もあります。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで うごきなく 常磐かきはに かぎりもあらじ
君が代は 千ひろの底の さざれ石の うの居る磯と 現はるるまで かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる

明治15(1882)年、文部省編集「小学唱歌」に載っている君が代です。各和歌の後半部分は、あとから付け足したようです。唱歌にふさわしい分量にしようということでしょうか。

当時は、メロディーも現在とは異なりました。英国王子来日にともない急きょ、国歌が必要になり、大山巌が「蓬莱山」の節で用意したからです。明治13(1880)年宮内省(宮内庁の前身)雅楽課が作曲し直し、さらにドイツ人のフランツ・エッケルトが編曲して、現在の君が代が完成しました。

世界一短い国歌

和歌としての君が代1番は平安時代から、年賀の場で奉じられていたようです。鎌倉時代になると年賀以外の祝いの場にも奉じられるようになったそうです。