目黒区の5歳児の虐待事件以来、虐待をしてしまう親の心理について考えさせられる人も少なくないでしょう。大人にはやらないことを、子どもにはやってしまう。そこには子どもを「自分の所有物」として扱う親の心理が見てとれます。
子どもを自分の所有物として扱う心理は、虐待とまでいかなくても、多くの人が持ち合わせてはいないでしょうか。嫌なことがあったり疲れた日に、口調が強くなるなど子どもに八つ当たりをしてしまう。子どもの意見や適性を汲み取らず、親の好きな習い事をさせる。子どもが良い大学へ行けば、自分のことのように自慢する。このようなことは昔からありました。
子どもだけではありません。嫁、嫁の実家、孫まで「自分のもの」として自慢する大人たちの声を聞くこともよくあります。
嫁も、孫も、嫁の実家も自分の自慢
田畑が広がり、専業兼業ともに農家が多く、庭先にイノシシや熊が出るような田舎出身の筆者。地元で聞こえてくるのは、子どもだけでなく孫、嫁、嫁の実家まで「自分のもの」とする大人たちの声でした。
とある80代女性の自慢は「子どもが3人、孫が7人、ひ孫が11人」いるということ。友達にも、営業にくる人にも、誰彼構わず繰り返し自分の子孫の多さを自慢します。またある50代の男性は、何かあるごとに「自分には親戚が50人以上いる」と嬉しそうに話します。血縁関係が多いことは、一つの自慢になるのです。
それだけではありません。嫁、また嫁の実家までをも自分の自慢にしてしまうことも少なくありません。「うちの嫁は大企業に勤めていて、教員免許も持っている」「嫁の実家は老舗の呉服店だ」など、聞かれていなくても嫁や嫁の実家の自慢話をすることも珍しくありません。
嫁や嫁の実家となれば、直接は関係のない人々です。そこまで自慢の種にするのは、嫁までも「自分のもの」とするような意識、また「自分の子が良い嫁を連れてきた」と子どもの手柄を自分のものとする意識が、日本には根強く残るのでしょう。
子どもは親の所有物なのか
子どもや嫁を自分の所有物とするのは、家制度の名残かもしれません。それも遠い昔の話です。子どもは親から生まれ育てられたとしても、親の所有物ではありません。気質・性格・体質・趣味嗜好・価値観など親とは違う、一人の人間です。
子どもや嫁までをも自分の自慢にすることには、一種の幼さも感じさせられます。たとえ子どもが東大に行き、嫁が一流企業に勤めたとしても、それは彼ら個人が考え、選択し、努力した結果です。それを自分の自慢としてしまうのは、そこへの依存も感じられます。
一歩離れて子どもを見る
いま子育てを担う親世代も、家制度の名残が残る人々の元で育てられています。少しでも気を抜けば、子どもを自分の所有物とした言動をとったり、自分の願望を押し付けてしまうこともあるので注意が必要でしょう。
子どもに八つ当たりしたり、期待を押し付けそうになったら、愛する気持ちに変わりはないものの一歩離れて我が子を見るのも一つです。自分の大切な友達の子に接するくらいの距離感を持ってみるのです。
自分の子には些細なことでも怒るけれど、他人の子ならすぐには怒らず、根気よく教えるという人も少なくないでしょう。自分の子だとつい要求を多くしてしまいますが、他人の子だと自分の要求を押し付けたりはしません。一歩離れて子どもを見ることで、一人の人間であるという視点を思い出すのです。
親が自分の人生を生きる
一方で、親が自分自身の人生を生きるということも大事でしょう。日本では「子どものために親が我慢をする」ことが美談にされ、今でも「子どものために自分を犠牲する育児」を良しとする人が少なくありません。
これが乳児期や幼児前期ならわかりますが、たとえ3歳児神話が本当だとしても、多くの場合親が子どもと24時間一緒にいるのは3年間程度でしょう。それ以降も子どものために親が自分を犠牲にし続けてしまうと、親が子どもに依存するようになってしまいます。
また、子どもは親の背中を見て育つものです。「子どもに自立してほしい」「子どもに自分らしい人生を送ってほしい」と思うなら、まずは親が自立して自分の人生を歩む必要があります。
こうした価値観からすぐに抜け出すことは難しいからこそ、問題意識を持っておくことが必要です。我が子を一人の人間として捉えられているか、常に自分に問いかけてみましょう。
宮野 茉莉子