資産形成は人生を豊かで幸福にするためのもの。ただ、何によって幸福を感じるかは人それぞれなので、資産形成の方法も人によって違っていて当然だ。投資をする場合でも、どれだけのリスクがとれるかは、その人の「人生設計」によって違ってくる。
そんな「人生の設計図」はどのようにつくればいいのか? 資産形成のプロで、『年収1000万円の人が、5年で現金3000万円をつくる方法』の著者である横濱コーポレーション社長の菅沼勇基氏に解説してもらった。
貯まらない人は常に行き当たりばったり
お金が貯まらない人の共通点は、まず「人生の設計図」がないことが挙げられます。数十万円とか100万、200万円程度であれば別ですが、大きな額を貯めるには、まず、自分がやりたいことのために、お金が「いつ、どのくらい必要なのか」を考えることです。
「目標や目的がないのに、なぜかお金が貯まっていく」というような人は見たことがありません。貯まらない人は、「そのときの生活費があればいい」というくらいにしか考えていません。とても近視眼的なのです。
そうして過ごしてきた結果、自分が間違っていたと気づくのは老後になってからです。着々と貯めて老後に備えていた人は「想定通りだ」と考えますが、そうでない人は「こんなはずではなかった」と思うはずです。そうなると、目の前の資金繰りで汲々としてしまい、先のことが考えられなくなります。
自分の未来を考える時間を「毎日」持つ
目の前しか見えてない状態からマインドセットを変えていくためには、毎日、「未来について考える時間」をつくることが必要です。具体的には、1日5分でも10分でもいいので、将来を考える時間をつくるのです。
そうして思考を変えていかなければ、行動も変わりません。行動が変われば、習慣が変わります。習慣が変われば、将来が変わります。私の場合は夜、自宅に帰ってから風呂で半身浴をしながら、最低30分は将来のことを考えるようにしています。
それに加えて、月に一度、私自身が好きな沖縄を訪れて、一人で考える時間をとっています。もちろん、リフレッシュの意味もありますが、沖縄に行くことで誰も訪ねてこない状態に入り、集中して思考するためです。
いつ、どれだけのお金が必要かは人によって違う
「人生の設計図」は、ライフステージによって、どの時期にどれくらいのお金が必要かを、ある程度、具体的に試算しながら書いていきます。たとえば、子供が生まれた瞬間に、「いまから18年後以降には大学に通わせる費用が発生する」と予想できます。その何年か前からは学習塾の費用が発生するだろうということも想定できます。通わせたい学校は公立なのか私立なのかによっても、費用が変わってきます。
こうして考えると、「大学に現役合格したとして、自分が65歳で定年退職するときにまだ子供は大学3年生だから、そこから最低でもあと2年は働かないといけないな」といったことがわかります。
そして、仕事を続けられるのは70歳までとして、完全に仕事をリタイヤしたとき、そこから多めに見積もって20年生きるとしたら、その間、公的年金がいくらもらえて、それにプラスしていくらの老後資金があれば、自分の思った通りの生活ができるかを考えてみるのです。
具体的に考えれば不要な不安は減る
たとえば、子供を大学に通わせるために5年で600万円を貯める必要があるとしましょう。月に10万円貯金できれば、年120万円貯められるので可能です。本業だけで月に10万円はハードルが高過ぎるというのであれば、本業で5万円、そのほかに投資で5万円つくろうなど、さまざまなことを考えるでしょう。
仮に年に1000万円の収入があるとしても、住宅やマイカーのローンなどの返済もあるでしょうから、可処分所得としては650万円くらいがいいところでしょう。意外と自由にできるお金は少ないと感じるはずです。
この状況で、成り行きでお金を貯めようとしても貯まらないのは、当然といえば当然です。だからこそ、自分でいつまでに、どれだけ貯めるのかを決めて、それに向けての設計図をつくることが必要なのです。
ライフプランシートで未来を考える
こうした設計図は、自分でゼロからつくることもできますが、一般に「ライフプランシート」と呼ばれる表を利用するといいでしょう。これは、これから数十年間の自分や家族の年齢を1年ごとに表に書き込み、何年後にどんな出費があるかを想定しておくためのツールです。ネットで検索すると、多くの例が出てきます。
まず現在の自分の年齢から、1年ごとにどんな変化が起こるかを書き入れていきます。たとえば、家賃の支払い、住宅ローンや車のローンはいつまで続くか、毎年の各種保険料がいくらかかるか、子供がいれば、大学で一人暮らしをすることになったときにはいったいどれくらいのお金が必要となるのか……などです。
ご参考までに、図表1(別画像)で私が2008年につくった「30年計画表」を示しておきます。
少し手間のかかる作業ですが、こうしたものをつくる意味はどこにあるのでしょうか?