日本に昔からある、「家事はしっかり丁寧に」という価値観。丁寧な暮らしは素晴らしいものですが、状況によっては人を苦しめかねません。特に育児中の女性が家事をしっかりやろうとするばかりに、いっぱいいっぱいになって家族に八つ当たりしてしまうという話はよく聞きます。
かくいう筆者も同じ状況に陥り、このままでは子どもや夫婦関係に良くないと思い、いくつかの家事をやめてきました。食洗機を購入して食器洗いをやめ、洗濯物はハンガーに干すことで畳むことをやめ、夕食もシンプルなものを一汁二菜に。家事を減らすことで得たこと、気付いたことをご紹介します。
子どもとの時間が増えた
最初に家事を減らそうと決心したのは、2人目の妊娠中でした。シンクの中にある大量の食器と鍋類を洗っている最中、長男に「ママ〜」と呼ばれたときのこと。「これを洗ったら子どもをお風呂に入れて、オモチャ片付けて、歯磨きして、明日幼稚園だから早く寝かしつけをしないと」と頭の中は予定と焦りでいっぱいで、長男には「待ってて」と返しました。
そのとき、ふと「いま長男の相手ができなくて、子どもが2人になったらどうしよう?」と不安がよぎったのです。赤ちゃんに「待ってて」は通用しませんし、いま相手ができなくて、産後赤ちゃん返りをするであろう長男に手が回るはずがありません。それに本当は幼児である長男にも、「待ってて」は通用しないはずなのです。
これでは子どもに精神的ストレスを与えると思い、「人間の手でやらなくても良い家事から減らそう」と食洗機を購入しました。洗い物の時間が減った分、子どもと遊んだり、子どもの話を聞く時間が増えました。以前頭の中にあった「これやって、あれをして、それをして」と並べる家事の量が減ったので、「家事は後でいいから子どもの話を聞こう」と思えるようになったのです。
子どもの気持ちに寄り添えるようになった
現代の育児では、子どもの気持ちに寄り添うことを勧められます。たとえば筆者も学校へ行きたくないと愚図る子に、「行きたくないんだね」と共感し、スキンシップをとることをスクールカウンセラーから勧められました。
しかし、寄り添うには時間がかかります。忙しく、心に余裕のないときにはできません。つい早くてラクな怒るという手段をとってしまいます。そもそも心に余裕がなければ、子どもの気持ちを聞く耳も持てないでしょう。しかし、これが家事を減らしていく過程で、段々とできるようになりました。
家事を減らして気付いたのが、「自分は疲れていたのだ」ということ。考えてみれば育児は心身ともに疲弊します。夜間授乳や夜泣きで乳幼児期は大体寝不足ですし、命の危険がないか常に神経を使い、子どもを追いかけたり公園遊びなど毎日ヘトヘト。グズグズやイヤイヤの対応など、精神的にも疲れています。
それでも渦中にいるときは、「疲れるなんて言ってる暇はない!」と気が張っていました。疲れを認め、心身の余裕が少し生まれたことで、子どもに寄り添えるようになったのは大きな収穫だと思います。
自分を追い込まなくなった
全てをしっかりとこなしていたときの自分は、まるで何かに取り憑かれているかのようでした。「完璧なママであり、妻でなければならない」と家にいても気が休まらず、常に動いている状態。今と比べればかなり家事をしていましたが、それでも「もっとしっかり、もっと完璧に」と自分を追い込んでいました。
家事や育児の弱音もなかなか吐けず、身近な人でも愚痴を言ったり相談するということも少なかったように思います。「しっかりやっているところを見せないと」という気持ちでいっぱいでした。
それが家事を減らすことで自分を追い込むことがなくなり、気持ちが楽になりました。冷静に考えれば育児初心者ですし、核家族のワンオペ育児で人手が足りない状況。家事も育児も完璧には「できて当たり前」ではなく、「できなくて当たり前」だということに気付いたのです。
今では近親者に軽い愚痴を言ったり、ママ友に小さなことでも相談したり。そんな自分の方が好きだと思うようになりました。