毎年3月17日は「漫画週刊誌の日」
毎年3月17日は「漫画週刊誌の日」です。ご存じでしたか?
これは、1959年(昭和34年)のこの日、日本初の少年向け週刊誌「少年マガジン」と「少年サンデー」が発刊されたことを記念に制定された日です。しかし、あくまで業界団体が主導したものであるため、広く知れ渡っているかは疑問が残ります。それでも、一昔前までは、この日に相応のイベントが行われていたようです。
今から20年以上前に黄金時代を迎えた漫画週刊誌
1980年代後半から1990年代半ばに掛けて、漫画週刊誌は全盛期を迎えました。その当時に発売されていた漫画週刊誌は、少女向けや成人向け(注:アダルト雑誌ではない)を含めると、星の数ほどあったと言ってもいいでしょう。
発売日になると、書店の店頭には漫画週刊誌が山積みとなり、すぐに売り切れとなる状況だったと記憶しています。そして、電車の中では、若者に限らずスーツ姿の会社員が漫画週刊誌を読む光景も珍しくありませんでした。
社会現象にもなった「少年ジャンプ」、人気4誌の中でも際立つ存在に
当時、数多くあった漫画週刊誌の中でも、「少年ジャンプ」(集英社)、「少年マガジン」(講談社)、「少年サンデー」(小学館)、「少年チャンピオン」(秋田書店)の4誌に人気が集まっていました(雑誌の正式名から「週刊」を省略、以下同)。
その中でも特に、最大の発行部数を誇ったのが「少年ジャンプ」であり、その人気は社会現象にまでなったとも言えます。
その「少年ジャンプ」の発行部数の推移を見てみましょう。
「少年ジャンプ」ピーク時の発行部数653万部は“不滅の金字塔”!
「少年ジャンプ」は1968年に創刊されました。その後、当時としては珍しかった読者アンケートを重視する編集方針(評価の低い作品は前倒しで打ち切りなど)や新人作家の積極的起用などにより、着実に人気を高めます。
そして、1994年末発売の1995年3・4合併号では653万部という空前絶後の発行部数を記録しました。念のために言いますが、この653万部は年間の記録ではありません。1号分(3・4合併号)の発行部数です。この記録は当時、ギネスブックにも登録されました(今も残っているかは不明)。
漫画週刊誌の発行部数は壊滅的な激減へ
しかし、この年をピークに発行部数は減り始めます。2年後の1997年には約400万部(毎週の年間平均、以下同)、2003年には約300万部と減り続け、2017年はついに200万部を割り込みました。直近(2017年10~12月、以下同)は約181万部に止まっています。
これは、22年間でピーク時の3割未満(▲70%超の減少)まで減少したことになり、まさしく激減と言っていいでしょう。
「少年マガジン」はピーク時の2割弱、「少年サンデー」は1割強まで激減
発行部数が減少したのは他誌も同じです。「少年マガジン」はピーク時の453万部(1995年)が直近は約84万部へ、「少年サンデー」は同じく約228万部(1983年)が約30万部へ激減しています。また、「少年チャンピオン」に至っては、いつの間にか日本雑誌協会の発行部数公表の対象外となっており、20万部を大きく下回っているのは確実と見られています。
特に最近では「少年サンデー」の落ち込みが著しく、現在では約53万部発行の「ヤングジャンプ」や、約50万部の「ビッグコミックオリジナル」の後塵を拝しているのが現状です。
激減した今でも「少年ジャンプ」は別格的存在
こうして見ると、発行部数がピーク時の3割未満に落ち込んだとはいえ、今でも約180万部を誇る「少年ジャンプ」の存在感は圧倒的に大きいと言えるでしょう。発行部数第2位の「少年マガジン」の2倍以上あるわけですから、“さすが少年ジャンプ!”というところでしょうか。発行部数は減ってもなお、間違いなく、漫画週刊誌の巨人と言えましょう。
漫画週刊誌の発行部数不振の背景には、少子化、ゲーム人気、モバイル普及などの理由が複合的に絡んでいると思われます。また、最後に挙げたモバイル普及に伴う電子版が普及しつつありますが、まだ限定的と見ていいでしょう。さらに、漫画に飽きたという購読者も少なくないかもしれません。
しかし、これは時代の流れだから仕方ないことなのかもしれません。
“クールジャパン”の重要コンテンツを守ることはできるのか
ただ、漫画やアニメなどは、政府が推進する“クールジャパン”を代表する重要コンテンツになっています。
今後、漫画週刊誌の発行部数が再び増えることは考え難い中で、日本の漫画文化をいかに守っていくかが問われましょう。特に将来の人材育成に関して、新人漫画家の新たな活躍の場が求められます。
3月17日の「漫画週刊誌の日」は、このような問題を改めて考える機会になりそうです。
LIMO編集部