その「患者さんの思い」に耳を傾ける努力をせずに、「医療的な正解を行うことが本人のため」と考えてしまうのは、もしかしたら医療従事者の思いあがりなのかもしれません。たとえ、それが医学的には「正解」であってもです。

財政破綻・医療崩壊した夕張市からは、高齢者のケアについても学ぶことが多い

認知症の治療薬でも最近は成績のいい薬が出てきましたが、それでも今後、認知症高齢者は700万人〜800万人にまで増えると言われています。結局、それなりに進行を遅らせる薬はあるけれど、今のところ完治可能な特効薬はないということです。決定的な治療法がないのなら、だからこそ「本人の思い」に耳を傾けようということを考えてもいいのではないでしょうか。

「本人の思い」が大切なのは、気管切開のような終末期だけの話でなく、認知症の早期の段階でも同じです。早くから施設に入ってそこで友達を作りたい人もいれば、やっぱり最期まで自宅がいいという人もいます。

ついつい家族が調べて選んだ施設に、周囲の状況を固められて反対もできずに入居、という場合もあるでしょう。ただ、同じ鍵のかかった施設でも、自分で進んで入ったのと、知らないうちに入ることになっていたのでは、ご本人にとっては雲泥の差です。後者は、えてしてその後、大変なことになることも少なくありません。

そうではなく、たとえば最終目標の「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」というところを目指せば、そのためにはどんな環境が望ましいのか、どんな人たちの助けが必要なのか、地域にどんな医療・介護資源があるのかを調べることになっていくでしょう。

また、「医療の正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らないと考えれば、今後出会うかかりつけの先生がどのような考えで診療してくれているのか知るために、一緒に外来受診に付き添うことにもなるでしょう。

さらに、「お母さんの思いが大事」と思えれば、そうした過程の中で「お母さんの思い」をたくさん聞く機会が持てるかもしれません。もちろん、「お母さんの思い」と重なるのであれば、早期発見・早期治療も大事です。

しかし、あくまでもそれは「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」ための手段であり、そこを目的と考えてしまうのは本末転倒なのではないでしょうか。そのちょっとした思い違いを繰り返していると、最終的に「ご本人が望んでいない」にも関わらず「医療の正解」が優先されてしまい、体にいろいろな管が入っていくということにもなりかねないのです。

ですから、最初に挙げた3つの点を考えながら、長い時間をかけてご本人と一緒に歩んでいくこと、共に悩んでいくこと、そこが大事なことなのではないかと思います。

  • 「医学的正解」が必ずしも「本人の正解」とは限らない
  •  だからこそ「最期まで笑って楽しく暮らせる」ことを目標に
  • 「ご本人の思い」に耳を傾ける

日本内科学会認定内科医 森田洋之