今回の相談のお母さんも多分同じではないかと思います。特に、今まで医者いらずで、元気な人です。いきなり知らない病院に連れて行かれて、血液検査や脳のMRIなどで身体中すみずみまで検査される・・・。
そのうえ初めて会う医者に「あなたは認知症だから早く薬を飲みなさい」と言われて薬を飲まされたら、それこそ絶望的になって、うつ病になってしまうかもしれません。
こういう例は、実はめずらしくありません。医療的な正解はとても大事なことですが、一心不乱にそれだけを考えていると、なにかチグハグなことになってしまいかねないのです。
では、どうするか。まず方針設定ですが、この場合、「進行をできる限り遅らせる」ということはいったん置いておいて、「お母さんが最期まで笑って楽しく暮らせる」というようなイメージを持つとしたらどうでしょう。
そんな漠然とした・・・と思われるかもしれません。ただ、ここを目指すと、結構やることが明確になってくるのです。
「最期まで笑って楽しく暮らせる」ことを目標に
たとえば、先ほど挙げた悪いパターン、絶望してうつ病にまでなるパターンですが、なぜそうなってしまうのでしょうか。
「医療の正解」にこだわるあまり、なにより重要な「ご本人の思い」がないがしろにされてしまったということはないでしょうか。実は、こうして「ご本人の思い」より「医療・介護から見た正解」が優先されてしまうことは、医療の現場、特に高齢者医療や認知症医療では決して少なくないのです。
「本人の思い」に耳を傾ける
これは3つの視点の中でも大切な部分ですので、もう一つ、ほかの事例を見てみましょう。
ある高齢で寝たきりの女性。声帯が炎症を起こし、「気管切開しないと、いつ窒息するかわからない」と耳鼻科の先生から言われました。ご家族・看護師さんは、落胆しながらもその運命を受け止め、心の準備と、気管切開に向けての算段をしていました。
しかし、気管切開という医療技術は、その方の老化の過程を逆回ししてピシャっと元気にしてくれるものではなく、あくまでも空気の通り道を確保するだけの技術です。声を失い、苦痛を伴うこともある、でもそれをすれば救命できる命もある、というものです。
この時、私はご本人に「ノドに穴を開けるのはどう思う?」と尋ねました。すると、その患者さんは、今にも泣きそうになりながら「イヤ」と。「死ぬかもしれないけど・・それでもいいの?」と聞くと「それでもいい」とカタコトながらおっしゃいました。