論文の数と質が人間の価値を決める

大学教授の価値観は、一言で言えば「論文の数と質が人間の価値を決める」というものでしょう。

ちなみに論文の質は、どの雑誌に掲載されたかで決まります。「査読」という審査に合格した論文だけを掲載する雑誌に載ることが良いことで、審査が厳しければ厳しいほど掲載された論文が優れていると評価されるわけです。

論文というのは、何かを証明できた事を示すものです。景気予測のように「長年の経験と勘に基づけば」といった文章は論文とは呼ばれません。

したがって、景気予測等に注力している筆者は、大学教授の間では「論文をほとんど書いた事がない、価値の低い人間」なのです。景気予測は経験と勘がものをいう仕事ですから。

まあ、「塚崎先生は、論文は少ないけれども、教育と学内行政をしっかりやってくれているから」と慰めてくれる同僚は少なからずいましたが(笑)。

論文は、内容が優れているだけではダメで、決められた作法に基づいて書かれる必要があります。論文の作法は茶道のようなもので、茶会に招かれたときに、美味しいと思いながらお茶を飲むだけではダメであるのと同様に、論文執筆の作法が厳しく定められているのです。

筆者が最初に論文を書いたのは、銀行在籍中でしたので、銀行員の書くような文章を書きました。

それを査読付きの論文集に投稿したところ、「内容的には興味深いが、そもそも論文としての基本的な文体を学び、最低限○○と○○等の先行論文を読んでから、再度投稿されたい」との返事がありました。

一例を示せば、注と参考文献が極めて重要です。このテーマに関する先人の研究論文は一通り読んだという事を示した上で、どの部分をどの論文から引用したかを事細かに示す必要があるのです。「こんなに頑張っているのです」とアピールする事が大事なのかも知れませんね(笑)。