分断を恐れる国ニッポン

1月の 「ワクチン接種、五輪の前提にせず」発言時に、首相は「ワクチンを前提としなくても安全・安心な大会を開催できるよう準備を進める」とも言っています。「そんなこと可能なの?」と思ったのを憶えています。

現在のコロナ対策は、ザックリ言ってしまえば“ワクチン頼み"です。別に日本だけでなく、世界中がそうだと思います。では、なぜ、ワクチンありきの五輪と言えないのかということです。

邪推にすぎませんが「なぜ五輪だけが特別扱いなのか。なぜ国民より五輪関係者のワクチン接種を優先するのか」という声が怖かったのかもしれません。結局、東京五輪は日本国民が一丸となって、喜び、そして熱狂するイベントであるべきという“信仰"が強すぎるのです。

そもそも、五輪推進派の人々にとって五輪は特別なものだと思うのです。ですから、その“特別性"を言語化して説明してくれればよいのですが。

前提として全日本国民が同時にワクチンを打てるわけではありません。今でも、医療従事者から始まって、高齢者へと優先順位は存在します。これに誰も文句を言いませんよね。

つまり五輪関係者にワクチンを優先する理由(大義)を説明すればよいだけだと思うのですが。もちろん議論は紛糾するでしょうし、最近のバズワード“分断"が発生したかもしれません。ただ、そういうことを恐れていると、事態は結局、泥沼化するということだと思います。