「日本人なら分かるでしょ」はもう通用しない

一連の流れのなかで党首討論もありました。あの時の首相の5分におよぶ半世紀前の“東京五輪回顧談"には、多くの人と同様に呆然としました。

アレが首相の強い希望だったのか、スピーチライターの意図なのか、非常に興味があるのですが、ベースにあるのは五輪の価値は「日本人なら分かるでしょ」という構造だと思います。

自分としては「日本人なら分かるでしょ」というような感覚は、もう絶滅に向かっている気がします。話が飛びますが、たとえばバブル期入社の企業戦士と就職氷河期世代の間には、確実に価値観の分断がある。

日本という国は同調圧力の裏返しとして、“過剰な分断を煽るな"という風潮が強いとも思うのですが、それがそもそもの間違いの気もします。分断を前提として、だからこそ、データに基づいたチャンとした議論が必要なのだと思います。

結局のところ、「すり合わせ」も「カイゼン」も、確かな大きな目標がある時代限定の手法だったのかもしれません。

最後に自分が五輪ギライの理由です。もう国をあげて盛り上がるイベントなんて古臭いと思います。もう、つくられた“大きな物語"は不要かと。各種スポーツの世界大会があればよい。「いや、五輪は人類の財産だ」というのであれば、ギリシアで固定開催した方が整合性がある気がするのですが。

榎本 洋