もっとシンプルに考えるべきでは
結局のところ、ジェンダーギャップ国際比較において120位そこらの日本で、たとえば“名誉男性"なんていうナイーブな議論をしていても、ラチがあかないという気がします。問題はそこではない気がします。優秀な女性たちが「ワタシって、もしかして名誉男性!?」と悩むのはナンセンスでしょう、やはり。
大きな話としては、結局「なぜジェンダーレスが必要なのか」ということなのだと思います。私見としては、現在の世界はジェンダーレスを含めて多様性に準拠した社会の方が、競争優位性があるということに尽きます。
ザックリ言ってしまえば、日本の「失われた20年(30年?)」の根本原因は、同一性に準拠した「モノづくり社会(ソサエティ3.0)」から社会を更新できていないからでは。つまりジェンダーの問題もその一つという気がします。
ここで問題です。日本人の好きな“まずは、問題をひとつずつ解決していこう"という方法論が、この課題が山積みする国で最適解なのか、ということです。
たとえば、ジェンダーの問題だけを切り出して、深化させて議論することに、どれだけの意味があるのか。そんなことをしていたら、課題解決まで何百年もかかるのではないか。やはり、まず大元から変える必要があるのではと思えるのです。日本の栄光を支えた“カイゼン"という方法論は、もはや過去の遺物なのではないか、そんな気がします。
榎本 洋