おそらく「世の中のありとあらゆる場所をベビーカーに配慮した仕様にしなければならないの? それが子供連れ層をターゲットにしていない店でも?」という思いが先走ったのではないでしょうか。もしかしたら中には、実際にベビーカーで不快な思いをした人がいたのかもしれません。

とはいえ、「ベビーカーでも入れたら便利なのにな〜」を「ベビーカーに配慮しろ」と受け取るのはいささか飛躍しすぎのような気がします。

本来Twitterの醍醐味は「思ったことを自由につぶやく」こと。しかし最近は、「誰かのつぶやきに異論があれば、徹底的に叩く場」として使用する人も多くなった気がします。

Twitterが本来の意図とは大きくかけ離れ、「ふとしたことで炎上してしまう場所」になってしまうことで、得をする人は果たしているのでしょうか?

まとめ

令和のベビーカー論争は、論争というよりも「ベビーカー」という言葉に条件反射的に飛びつき、これがチャンスとばかりにベビーカーを叩く人が主導となって起こった炎上騒ぎ。ここまで「ベビーカー憎し」を叫ぶのはいかがなものか…?と考えてしまいます。

かといって、これに便乗して「そうだ!狭すぎる!」と「カルディなんとかしろ」とするのも違います。

結局のところ、「ベビーカーで入れるカルディがあったら便利なのにな〜」「そうだね」で済む話。なぜなら件の発言は「思ったことをただポツリとつぶやいただけ」に過ぎないのですから。

大中 千景