“高い意識が制度を変える"へのギモン
「黒船」が来ないと変われない日本。ところでペリー来航から明治維新まで何年か、憶えていますか。正解は15年です。歴史の授業のときに、「昔の人はノンビリだな」と思ったものです。しかし、最近は「昔の人はスピード感があるな」とも思えるのです。
いまから15年前は2006年。ジェンダーの問題でいえば、その3年前の2003年に「202030」が発表されています。これは内閣府・男女共同参画推進本部による「あらゆる分野で、2020年までに指導的位置に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標」です。結果は、惨憺たるものです。
もちろん、割合を変えれば良いわけではない、意識が大切だという意見もあります。ただ、これは微妙なところですよね。日本の場合、阻害要因として選択的夫婦別姓の問題から、女性の働き方まで、制度の壁があまりにも頑強です。問題は、人の意識が制度を変えるのか。あるいは、制度が人の意識を変えるのか。
これは、最終的には「ニワトリが先か、卵が先か」問題ですが、いまの日本全体でジェンダーレスの“高い意識"を求めてもムリな気がします。制度の壁が高すぎるのです。これは、近年の歴史が証明しています。そして、この“意識”に過剰に求めすぎることが「日本が変われない国」の原因であるとも思えるのです。
まず制度を根本的に変えてしまうこと。女性の社外取締役登用などでごまかす、いつもの手は禁止で。制度がガラッと変われば日本人の“意識"なんて変わりますよ。1868(明治維新)/1945(敗戦)を見ても、日本人は、そのような順応性が高いと思います。良い意味でも、悪い意味でも。
榎本 洋