辞任後も迷走は続きました。川渕氏への辞任する前会長自らの禅譲劇。これは川渕氏がベラベラ喋ってくれたから判明したものです。川渕氏がダンマリを決め込んで、体裁を整えたら誰にもわからなかったでしょう。これが密室政治のスゴイところです。
「たかが運動会」という健全な感覚
では、橋本氏の選出過程に果たして透明性があったのか。これは実のところ、透明性の必要性以前に「ダイバーシティ(多様性)」「インクルージョン(包摂性)」等々のカタカナを並べ立てる組織委員会に、ウンザリでした。たくさん並べれば良いってモノでも、ない気がするのですが。
五輪への逆風が強まるなか、巷で呟かれる「オリンピックはただの運動会」が実は健全な気がしてきました。女性蔑視発言者が長年、会長職を務めてきたのに、いまさらジタバタしてもですね。ともかく〈多様性〉が大事ならば「ただの運動会」という意見も〈包摂〉して前に進んでもらいたいものです。
今回の辞任劇にはスポンサー企業の反発もありました。しかし「わが社の価値観に合わない」と森氏を批判したトヨタ自動車の女性管理職比率はわずか2.5%(2019年/「日経ESG」より)。これが日本の実情です。五輪組織委員会はすぐになくなる組織ですが、日本社会の深層にはびこる男女不平等に果たして処方箋はあるのか。
今回の辞任劇は、国内企業の反発や多くの辞任要求の署名もありましたが、やはり“外圧"が要因でしょう。米国での放映権を持つNBCの森会長辞任要求記事。これと連動したかのようなIOC(国際オリンピック委員会)の手のひら返し声明。「日本は外圧でしか変われない国だ」という意見は正しいのかもしれません。