「ポテサラ論争」や「冷凍餃子論争」など、SNS上では料理を手作りしないことをめぐる意見の対立が見られました。
共働き、ワンオペ育児と明らかに環境は変化したものの、いまだ残る手抜き家事への批判。そもそも安らぎの場である家庭において、仕事や育児に疲れきった女性がお総菜や冷凍食品を活用するのを「手抜き」と皮肉られるのは不思議です。
とはいえ、今なお「家事の手間を省くことへの罪悪感」を抱える女性は少なくないでしょう。
その一方で、SNSではさまざまな時短・手抜き料理や家事が紹介されるようになりました。以前よりも「やめる家事」「捨てる家事」といった記事も増え、着実に価値観は変化しつつあります。
変化の過渡期だからこそ厄介な「”手抜き”家事への罪悪感」には、筆者もずっと悩まされてきました。では、この罪悪感を捨てるにはどうすればいいか、その方策を考えてみます。
「程よく手抜きをしよう」ではうまくいかなかった
筆者も2児を育てながら仕事をし、ワンオペ育児を行っています。そのため、「程よく手抜きをしよう」と考ることは度々ありました。
ただ、「レトルトや冷凍食品は自分が苦手だし、新鮮なほうが体にいいから」「ここはキレイにしたほうが気持ちいいから」と、結局は家事育児を完璧にしようとする気持ちが働いてしまい、それゆえに完璧にできなかった日があると罪悪感を感じていたのです。
しかしこのコロナ禍で、苦手意識のあった冷凍野菜を初めて使いました。新鮮な野菜を手に入れるには週に何度かスーパーへ行かねばなりませんが、冷凍野菜も併用すればスーパーへ行く回数を減らしながら野菜を取れるからです。
冷凍野菜を利用して驚いたのが、「食卓に野菜の登場回数が増える」こと。たとえばブロッコリーは、一房買ってきたらまずは茹でて調理して食べ、残りはシチューなど他の料理で使い切ります。下ごしらえも必要ですし、量も多いので残さず使い切るよう神経も使い、毎週のように買うことはできませんでした。
しかし冷凍野菜ならいつでも使えるので、栄養価の高いブロッコリーを週に何回も登場させることができます。また、スープにさっと追加することができるので、普通なら下ごしらえや使い切るのが大変だったり、傷みやすい野菜も、手軽に食卓に並べることができます。
こうした時短のおかげで仕事の時間も増加。自分にとって「仕事と育児の両立にちょうど良い家事アイテム」が見つかったことで、自然と手抜きによる罪悪感も減りました。
今、振り返れば、手抜きに抵抗感を持っていたときは、自分がどうかということよりも「他者の目」を意識していたように思います。
「1人でできる」という思い込みを捨ててみる
手抜き家事に罪悪感を感じる一番の問題は、ワンオペ育児や共働きといった環境の変化があるにも関わらず、「家事くらい女性1人で完璧にできるだろう」という思い込みが残ることでしょう。
実際に毎日やれば「家事くらい」ではありませんし、「完璧にできる」必要はなく、それぞれの家庭のやり方があったり、子どもが小さい間は簡略化するなど環境に合わせた変化があっていいものです。
また、家族で住む家のことですから「女性1人で」やるという決まりもなく、男性や子どもも家事をやることで暮らしが上手く回りますし、良い経験にもなって自立にも繋がります。
しかし昔から自然に女性が家事育児を行ってきたため、仕事に比べて「誰でもできて当たり前」と思われやすいのでしょう。また、家事育児は女性がやることだという価値観が根強いため、家事育児の具体的な大変さを経験することもなく、「それくらいできる」と思われがちです。
実際に家事育児を行う女性は、産後まだ体が戻らない中、泣き続ける赤ちゃんへの対処を手探りで行い、おむつ換えから授乳など全てのお世話を担い、夜は1~3時間しか連続で眠れず、1日中小さな命を守る緊張感を感じ続けます。
やっとハイハイをするようになっても、ニンジン半分を切り終える前に赤ちゃんが泣いて呼ぶため、3分と連続でキッチンには立てません。
まずは「1人でできる」と思い込まず、ワンオペ育児や共働きという環境では「女性1人で家事育児はできない」と思い切ること。
「できない」と思えば、便利家電を導入したり、お総菜やミールキットや冷凍食品を使ったり、一時保育を利用するなど、具体的かつ物理的な対処を取れ、ママも家族もみんなが安らげる家庭を築くことができるでしょう。
逆に、いつまでも「できる」「できるはず」「頑張る」と思い続けることで、物理的な対処が取れず、周囲に理解も協力も得られず、ママ1人が心身を疲弊させることになってしまうのです。
現在の育児世代の子どもたちが親になる頃には、今とは価値観も環境もガラッと変わっているでしょうが、親の姿を見ている子どものためにも、今から自分で変えていく意識を持つことが大切だと思います。
おわりに
自分らしい仕事・育児・家事のまわし方が見つかった筆者は、「今の生活がいい感じだ」と思えるようになりました。すると、今回のようなポテサラ論争や冷凍餃子論争も気にならなくなったのです。
時代がどんどん変化する一方で、価値観の変化は進みが遅いものです。手抜きへの批判は今後も出てくるでしょうが、「そういった価値観の人はいるけれど、自分には自分のちょうどいいやり方がある」と思えれば、そういった批判をスルーすることができるようになるのではないでしょうか。