筆者の母の場合、峠を越えたところにある集落に祖母の生家があったり、兄嫁は江戸時代からある街道を越えた町からやって来るなど、半径5キロメートル以内に親戚筋の人々の多くが住んでいました。そしてそれが当たり前のように受け止められているのです。

身内が近くに住んでいると、コミュニティががっちり固められてしまい、他の人が入る隙がなくなります。よそ者に冷たいと指摘されるのは、単に集落の絆が固いからだけではなく、親戚縁者の集まりなため血縁関係のない外部を受け入れるのに抵抗があるのです。

一方、筆者の父の親戚は、同じ自治体に住んでいたり他県に住んでいたり様々です。結婚相手が親戚縁者の知人という人は皆無で、付き合いも非常にドライ。子供時代に筆者が住んでいた街と母の実家は車にして1時間もかかりませんでしたが、距離以上に考え方が遠く離れているのを幼心に感じていました。

都会育ちが田舎の独特な世界観を理解するのは難しい

自分の実家や祖父母の家を「田舎」と言う人は少なくありません。しかし、田畑や山に囲まれている意味での田舎を指すとは限らず、さらに人口流出が続く中では田舎特有の世界に触れる機会のない人が増えています。

コロナ禍で田舎の恐ろしい面ばかりが話題になりますし、街に比べれば閉鎖的な社会です。しかし、帰り際にジャガイモや大根、栗などを渡される人情味あふれる良さや、災害時に地域一丸となって立ち向かう良い面もあります。田舎批判に終始するのではなく、独特なコミュニティを形成していることを理解する必要もあるのではないでしょうか。

中山 まち子