母の「ロボット」でいたほうがラクだった

「私が何か失敗するにつけ、『ママのいう通りにすれば上手くいったのに!』と怒り出す母でした。自分の意志で行動を起こすと必ず文句を言われるのが苦痛になり、気が付いたら『母の指示待ち人間』に。その根底にあったのは、母への信頼感ではなく「波風立てたくない」という諦めの気持ち。

大人になった今でも、自分で何かを決断したり選択したりする自信が持てないままです。将来結婚・出産することがあっても、パートナーや子どもと上手に関わっていけるのか・・・正直自信がありません」

大人同士であれば、言葉を発する前に一瞬考えるようなセリフも、我が子が相手だと平気で言えてしまう、という人は意外に多いようです。その根底には、「子どもは親の所有物である」という思い込みがあるのかもしれません。

「親の轍を踏みたくない」迷える大人たち

親から押さえ付けられて育った人の中には、自分が親となったときに「適切な子どもへの接し方がわからない」と困惑してしまう経験が多いようです。

「教育虐待」のトラウマ

「私たちきょうだいが母から受けていたのは、今思えば「教育虐待」そのものでした。テストの成績できょうだいの「序列」を決め、常に進学先の偏差値を比較されている状態。子ども心に憂鬱でしたね。でもその結果、私は学業でそれなりの結果を残すことができ、自信を持つことができたのも事実。そして今、我が子に中学受験をさせるべきなのか悩んでいます。もし自分が母と同じようなことをしてしまったらと思うと、二の足を踏んでしまいます」

「普通の子育てって何?」

「門限を1分でも過ぎると夕食抜き、電気の消し忘れや水道の出しっぱなしがバレたら夜中でも延々と叱責される・・・、など、私自身がかなり厳しく育てられました。だから世間でいう『しつけと虐待のボーダーライン』を知らないのです。我が子にはきちんとした生活習慣を身につけさせたいと思っていますが、母が私を育てたやり方って、もしかしたら虐待なのでしょうか?夫に聞いても『普通に接していれば問題ないよ』という返答。私は、その『普通』が分からなくて…」

子ども時代の自分が親から受けていたのは「しつけ」か「虐待」か。当事者でも簡単に判断がつかない問題なのかもしれません。自分自身が子どもを持つまで、この問題に気がつかなかった人、気がついてもあえて目を背けていたという人も多いようです。そもそも「しつけ」の基準自体、各家庭のポリシーによって大きく異なるわけですから。