「言うは易く 行うは難し」というように、部外者だったときは正論が言えたのに、当事者になってみると正論通りにはできない経験をしたことがある人も多いでしょう。実際に当事者になれば「簡単に正論通りになんてできない」ことが分かったり、自分で自分の正論に傷つけられることもあります。

「タイミング」もまた、人それぞれ。正論が自分の中にスーッと入り、理解して行動できるようになるまでには、それ相応の年月と経験が必要です。まだまだそのタイミングではないのに、こうすべきと言われても、ただ苦しいだけなのです。

事情もタイミングも人それぞれとなると、正論が本当に相手のためになるかというと「イエス」とは言えません。相手のためを思うならば、正論を言うべきではない場面もあるでしょう。

正論を言った時点で「私 vs. あなた」に

正論が素直に受け入れられない理由の一つに、権力争いがあります。ベストセラーとなった『嫌われる勇気』では、「人は、対人関係のなかで『わたしは正しいのだ』と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている」と指摘します。

権力争いとは、「どちらの方が正しいか」という争いのこと。これが始まった時点で、「何が」正しいかよりも、「誰が」正しいかの方に話が変わってしまうのです。

なぜなら正論を言った時点で、「あなたは間違っていますよ」というサインを相手に送っていることになるから。そもそも相手が正論通りに動いていれば、正論を言う必要はありません。正論を言われた相手は、話の内容を聞くよりも先に、「自分は間違っていたんだ」ということを受け止めなければならないのです。