この2つのアプローチを比較してみると、「何でもやってあげる育児」では子ども自らが体験したり、学んだり、創意工夫する機会が少なくなります。子どもが挑戦する機会を親が奪ってしまうことになり、子どもが「自分でできた」と思える機会も減るでしょう。

「見守る育児」は時間も手間もかかりますが、少しのあいだ見守れば子ども自身でできることが増え、逆に親も助かります。子どもがやれば上手くできないこともありますが、大きな心で見ながら少しずつ教えると、子ども自身は自分で考えて工夫し、「自分でできた」という達成感や自信を身につけるようになるでしょう。

子育てのゴールは「自立」と考えると、何でもやってあげて親が子どもとの距離を詰めすぎるよりは、子ども自身に経験してもらう方がゴールに近きやすいのではないでしょうか。

子どもを怒って言うことを聞けば、満足?

もう一つ、怒って子どもに言うことを聞かせるというのも、一世代前は当たり前でした。ドラえもんで度々繰り広げられる、のび太のママがのび太に「勉強しなさい!」と怒るシーンが分かりやすいでしょう。

のび太のテストの点が悪かったり、宿題をしないたびに、ママは「の~び~太~!」と怒ります。しかし何度も見ていると、ママがいくら怒ってものび太はいつも勉強をしませんし、テストは大体0点です。それでものび太のママは毎回のび太を怒りますし、のび太は「ママに怒られる! 助けてドラえも~ん」と逃れようとします。

つまり、根本的な問題である「のび太が勉強する習慣を付ける」といったところには至らず、ママは怒り続け、のび太は逃げることの繰り返しです。