「両親はいつまでも『できない私を守る自分たち』でいることに優越感を覚えているような人たちでした。確かに子供の頃は、家のことを完璧にやる母・企業人だった父を尊敬していました。しかし、私も社会に出て働くようになり『両親はそこまで完璧な人間ではなく、いろんな面を持っている』ことに気づき始めました」

でも、それがわかってからも「お父さんはすごい」「お母さんのおかげただよ」とついつい口にしてしまっていたというYさん。それはまるで永遠に上司の接待が続いているかのようだったそうです。「でも、ある日母の不注意でお風呂場が水浸しになったことがあって。それを注意したところ『人を年より扱いして生意気だ!』と大騒ぎされました。

そのことで『親も年を取ったことに気づかせなければいけない』と気づいたというか。この先、父だっていつまでも車を運転できるかわかりません。免許を返納させるときになってから急に意見をしても間に合わない。そんな気持ちから、親に対してのイエスマンでいることをやめる決心をしました」

最初のうちは、何を言っても「急に嫌な子になった」などと言われていたYさん。しかし、今まで親と本音で話してこなかった自分とは思えないほど徐々に本音が出てくるようになったそう。最近では「あんたは不器用だから無理」といわれ通わせてもらえなかった教習所に自ら通い、父がいつ引退しても送迎ができる様に免許の取得を目指しているそうです。

まとめ

「親を悲しませるのは裏切り行為だ」と思い込んでいる人たちは一定量存在します。少し前に社会問題にもなった「毒親問題」。これは子供だけの問題ではありません。成人した大人でも毒親に洗脳され、自由に生きられていない人はたくさんいます。そんな苦しみの中にいる人は、勇気を出して親の顔ばかり見るのをいったんやめてみてはどうでしょうか。自分の人生を歩む小さな一歩となるかもしれません。

佐渡 六花