性的マイノリティとは言っても、本人がそのことを口にしない限り性的マイノリティであることはわかりません。それとわかるような特殊な容姿や生活をしているわけではないからです。

みなさんと同じように、毎日ごはんを食べて、風呂に入ったり仕事をしたり、本を読んだりゲームをしたりというような日常を過ごしています。散歩もすれば買いものにも行きます。だから、すれ違ったり近所に住んでいたりしてもそれと気づかないだけなのです。性的マイノリティはどこにもいます。

性的マイノリティだけではありません。たとえば耳が聞こえない人や話せない人は会話をしなくてもいい場面では、聞こえないことや話せないことは本人以外にはわかりません。内臓に疾患がある人などもそうです。道行くあの人はいわゆる歴女かもしれません。鉄ヲタかもしれません。いかにも日本人然とした風貌のあの人は実はフランス国籍の人かもしれません。

そんな風に一見してわからないだけで、さまざまな人が身近に行き来しています。「マイノリティ」、「少数派」とは言いますが、特定の場所に隠れ住んでいるわけでも特別に目印がついているわけでもありません。「会ったことがない」、「見たことがない」というのは、そばにいることに気づいていないだけなのです。

もっと端的に言うと、マイノリティとされている人たちは「自分はマイノリティではない」と思っているみなさんと同じ人間です。何ら特別なことはないのに特別だと考えている人たちに特別なものとして扱われているだけで、実際はみなさんと同じように普通に生活しています。

マイノリティというのは、人の一面に過ぎません。誰でもマイノリティの面を持ちながらマジョリティ(多数派)の面を持ちます。その反対に、マジョリティの人にもマイノリティの一面がどこかにあるはずです。

たとえば、マイノリティ中のマイノリティであると名乗った筆者も、「凡才である」、「カレーライスが好き」、「右利きである」などの点ではマジョリティです。同様に、誰もがマジョリティでありマイノリティです。誰にとっても、マイノリティの問題は無関係ではないのです。

なかやすみ ー 一旦まとめ

レインボーフェスタ和歌山というイベントについて紹介するために、導入としてマイノリティについて、また性的マイノリティについてお話ししました。ずいぶん長い語りでしたが、要点は次の通りです。

・性的マイノリティはどこにでもいる普通の人
・誰もがマイノリティでありマジョリティである
・人はそれぞれが異なっていて当たり前
・異なっている人たちが互いを尊重し合って存在するのが多様性

本稿をここまでお読みくださったみなさんは、上記4点をどうか覚えていてください。そしてできれば、誰かにこのお話をしてみてください。

本稿に続く後編では、いよいよレインボーフェスタ和歌山というイベントの中身についてお伝えしていきます。さまざまなマイノリティがステージに立って表現するさまや、イベント来場者及びイベント実行委員から伺ったお話などをまとめていますので、引き続きお読みいただければ嬉しく思います。

衛澤 創