人が捉える「性別」には2通りあります。ひとつは自分自身の性別、もうひとつは相手の性別です。「相手」には話し相手だったり仕事相手だったりいろいろいますが、ここでは「恋愛対象として好きになる相手」としましょう。

自分自身の性別と好きになる相手の性別が一致している場合、これは同性愛ということになります。異なっている場合は異性愛です。同性愛をホモセクシュアル、異性愛をヘテロセクシュアルと呼ぶことがあります。

さらに細部に目を向けると、自分自身の性別にも2通りあります。自分が認識している自分自身の性別と、生まれたときに判定された性別です。人は生まれるとき、多くの人は母親以外の誰かの立ち会いの下で生まれてきます。

たとえば産科医が立ち会った場合、生まれた赤ちゃんの性別を判定するのは赤ちゃん本人ではなく、産科医です。本人の意志や意見は尋ねられることがありません。本人ではない人が判定した性別は概ねそのまま戸籍上の性別になります。

産科医が判定した性別と生まれた人がのちに認識する本人の性別は大抵一致しますが、そうではない場合もあります。生まれたときに判定された性別と自分自身が認識している性別とが一致していること、またその人をシスジェンダーと言います。

これが一致せず、生まれたときの判定とは異なった性別で生きていきたいと思う、または既にそのように生きている人をトランスジェンダーと呼びます。

社会で一般的とされているのはシスジェンダーかつヘテロセクシュアルの人たちです。この人たちをシスヘテロと呼びましょう。そして、シスヘテロ以外の人たちが、性的マイノリティです。

レインボーフェスタ和歌山は多様性のお祭り

レインボーフェスタ和歌山は当初、性的マイノリティについての啓発イベントとして企画されましたが、開催までの間に少しずつ変化があり、性的マイノリティだけのものではなくなりました。

身体や精神に障害がある人たち、日本ではない国にルーツを持つ人たち、難病を抱える人たち、めずらしい趣味を持つ人たち、あまり知られていない仕事をしている人たち、学校に行かない人たち……世の中にはさまざまなマイノリティがいます。

マイノリティであるがために普段いないことにされてしまいがちな人たちにスポットを当て、「自分たちはここにいる」と声高く言える場所をつくろう、そして、さまざま存在するマイノリティの人たちが、またマイノリティではない人たちも、垣根なくみんな「いっしょくた」になって楽しめるお祭りをつくろう、とレインボーフェスタ和歌山は始まりました。

「障害」だとか「難病」だとか「外国籍」だとか、あるいは「性的マイノリティ」だとか、いろいろな「属性」を持つ人たちが存在します。そういった人たちは誰に気兼ねすることなく存在して構わないし、特異なもの扱いされる必要もありません。さまざまな人がいて当たり前であり、それが多様性です。レインボーフェスタ和歌山はさまざまな人がいることを肯定し、祝うお祭りです。

取材に行った筆者のこと

筆者はマイノリティです。女児として生まれ、女性として育てられ、現在はおじさんです。生まれたときに女の子と判定され、身体も女性のかたちをしていましたが、自分を女性だと認識できたことは一度もありませんでした。

そのためジェンダークリニック(性同一性障害専門の医療チーム)がある病院に通い、海外で性別適合手術を3回受け、その後、戸籍上の性別を「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(法律第111号)」に則って訂正しました。