構造変化③ストック:対外純資産の過去最高とシェアの低下

ここまでは毎年のお金の出入りである「フロー」を見てきましたが、通貨の強さを測るもう一つの重要な指標が、過去から蓄積された資産である「ストック」です。

日本円が強かった理由として、よく「日本は世界最大の対外純資産国だから」と説明されてきました。対外純資産とは、日本の政府や企業、個人が海外に持っている資産から、海外が日本に持っている負債を引いた純額のことです。海外に豊富な資産を持っていれば、いざという有事の際にその海外資産を売却し(外貨を売り)、円に換えて国内に資金を戻すことができるため、円は安全資産とみなされてきました。

日本の対外純資産の推移(1996-2024年)4/9

日本の対外純資産の推移(1996-2024年)

出所:財務省「本邦対外資産負債残高」を基にイズミダイズム作成

上のグラフの通り、日本の対外純資産の「絶対額」は右肩上がりで増え続けており、2024年には533.05兆円と過去最高を更新しています。これだけを見れば、日本の円を買い支えるバックボーンは盤石のように思えます。しかし、泉田氏は「為替は相対評価である」という大前提に立ち返るよう促します。

主要債権国の純対外資産 絶対額(左)とシェア推移(右)/2005-2024年5/9

主要債権国の純対外資産 絶対額(左)とシェア推移(右)/2005-2024年

出所:IMF「International Investment Position」(Net IIP・USD建て)を基にイズミダイズム作成。左=ドル建ての絶対額、右=主要11債権国の合計に占めるシェア

こちらのグラフは、主要債権国(日本、ドイツ、中国、香港、ノルウェーなど11カ国)の対外純資産合計に占める、各国のシェアの推移です。

2005年当時、主要債権国の中で日本が占めるシェアは実に47%に達していました。主要債権国が積み上げた対外純資産の半分近くを、日本一国で占めていた計算です。ところが、そのシェアは年々縮小し、2024年には17%にまで激減しています。さらに2024年には、絶対額(ドル建て)でもドイツ(3.61兆ドル)が日本(3.44兆ドル)を逆転してトップに立ち、すぐ後ろには中国(3.18兆ドル)が迫っています。

「為替ってね、どこまで行っても相対評価なんですよ。なので日本の存在感が薄れることによって円高にはなりにくくなった」

日本の資産額自体は増えていても、世界経済の成長スピードから取り残されているため、グローバル市場における相対的なインパクトは急激に低下しています。その結果、「有事の際に日本が資産を売って円を買う」というアクションが起きたとしても、為替市場全体を動かすほどのパワーを持たなくなってしまったのです。

構造変化④相手側の変化:アメリカの「純輸出国」転換と有事の円買いの逆転

日本の構造変化以上に、「有事の円買い」を消滅させた決定的な要因があります。それが、基軸通貨ドルを持つアメリカ自身の劇的な変化です。

かつて、中東情勢の悪化などで原油価格が高騰する「有事」が起きると、投資家はドルを売って円を買いました。なぜでしょうか。当時はアメリカも莫大な量の石油を輸入に頼る国だったため、原油高はアメリカ経済に深刻なダメージを与えると懸念されたからです。アメリカ経済がスローダウンすればドルの価値が下がるため、投資家は資金を避難させる先として、消去法的に日本円を選んでいたのです。

しかし、この15年間でアメリカのエネルギー事情は完全に姿を変えました。

米国の石油 輸出入量と純輸入依存度(1990-2025年)6/9

米国の石油 輸出入量と純輸入依存度(1990-2025年)

出所:U.S. Energy Information Administration(EIA)を基にイズミダイズム作成

グラフの青い線(輸出)に注目してください。2010年代以降、アメリカの石油輸出量は垂直に立ち上がっています。オレンジの点線は「純輸入依存度」、つまり国内で消費する石油のうち輸入に頼っている割合で、マイナスは輸入より輸出が多い(純輸出)状態を意味します。これは「シェール革命」と呼ばれる技術革新により、アメリカ国内の地中深くから石油を大量に採掘できるようになったためです。

この結果、アメリカは自国で消費するエネルギーを賄えるようになったばかりか、2020年にはついに石油の「純輸出国(輸入より輸出の方が多い状態)」へと転換を果たしました。

泉田氏はこの変化が為替市場に与えたインパクトを次のように解説します。

「アメリカって別に石油の値段上がろうがノーインパクトなんですよ」

むしろ輸出国となった今は、価格が上がれば輸出で稼げてしまう。だから投資家がドルを売って円に逃げる動機がない、というのが泉田氏の見立てです。「投資家としてはドルを売って円を買う理由はないんですよ。どっちかというと日本のほうがダメージ受けるじゃん」

アメリカは純輸出国になったため、有事で原油価格が上がっても経済へのダメージはなく、むしろ輸出企業が潤う恩恵すら受けます。一方で、原発が止まり化石燃料を全量輸入に頼っている日本は、原油高の直撃を受けて貿易赤字が膨らみ、経済の不透明感が増します。

つまり、かつては「有事(原油高)=アメリカ経済悪化=ドル売り・円買い」だった方程式が、今は「有事(原油高)=アメリカは無傷、日本経済悪化=ドル買い・円売り」へと180度逆転してしまったのです。これが「有事の円買い」という言葉が市場から消え去った最大の理由です。

構造変化⑤産業:対外直接投資の増加と戻らない円

さらに、日本の大企業のビジネスモデルの変化も、円安を定着させる要因となっています。

対外直接投資残高の推移と国内設備投資との対比(1996-2024年)7/9

対外直接投資残高の推移と国内設備投資との対比(1996-2024年)

出所:日本銀行「本邦対外資産負債残高」、財務省「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」を基にイズミダイズム作成

日本企業はグローバル化を進め、海外に工場や拠点を続々と建設しています。グラフの棒(水色=現地法人への出資、赤=収益の再投資、グレー=負債性資本)は年を追うごとに積み上がり、2024年の対外直接投資残高は353兆円に達しました。2000年を100とした指数で比べると、対外直接投資残高が855まで膨らんだのに対し、国内の民間企業設備ストックは118にとどまっています。海外への投資は積み増す一方で、国内投資はほとんど増やしてこなかったということです。

泉田氏は、2011年の震災以降、国内でものづくりをすることのリスクを避け、地域を分散させてリスクをコントロールする意識が進んだため、海外投資が加速した可能性があると指摘します(データ上の断定はできないものの、時期的な重なりとして見立てています)。

重要なのは、かつてのように「日本で作って海外に輸出する」モデルであれば、海外で稼いだドルを日本円に換える(円買い)動きが生じますが、現在主流の「現地で作って現地で売る(地産地消)」モデルでは、その動きが起きないということです。

海外子会社が稼いだ利益は、日本に配当として戻されるよりも、そのまま現地の再投資に回される(グラフの赤い部分:収益の再投資)割合が増えています。ドルで稼いだ利益をドルのまま現地でぐるぐると回すため、為替市場で円が買われる機会が構造的に失われているのです。

この実態は、国の収支統計にもはっきりと表れています。

統計上の経常収支とキャッシュフローベース経常収支(1996-2024年)8/9

統計上の経常収支とキャッシュフローベース経常収支(1996-2024年)

出所:日本銀行「国際収支統計(BPM6)」を基にイズミダイズム作成(キャッシュフローベースは唐鎌大輔『弱い円の正体』の定義を一次データで再現)

経常収支とは、貿易やサービスの取引に加えて、海外に持つ資産から得られる利子・配当(第一次所得収支)などを合計した、国全体の稼ぎを示す指標です。ニュースなどでは「日本の経常収支は黒字が続いている」と報じられます。実際、2024年の統計上の経常収支は+29.3兆円で過去最高を記録しました。しかし、この黒字の中には、先ほどの「現地に留保されて日本に戻ってこない利益」も計算上含まれています。

そこで、為替取引を伴わない利益などを差し引き、実際に日本にキャッシュ(円)として戻ってきているかを計算した「キャッシュフローベースの経常収支(薄い色の棒グラフ)」を見ると、景色は一変します。円安が急加速した2022年は−9.7兆円、2023年も−1.8兆円と、実態としてはマイナスに沈んでいるのです。

「損益計算書とキャッシュフローの関係にすごい似てるんだけど、損益計算上は黒字、ただキャッシュフローはマイナスみたいな」

泉田氏がこう例えるように、いまの日本経済は帳簿上は黒字でも手元に現金がない「黒字倒産」の企業に近い資金繰り状態にあり、これが円の買い手不在を招いています。

円高に戻る条件は何か:日本経済の処方箋

ここまで見てきたように、日本の構造変化は多岐にわたり、かつ根深いものです。では、日本が再び円高基調を取り戻す、あるいは貿易黒字国へと転換する道筋は残されているのでしょうか。泉田氏はいくつかの処方箋を提示します。

一つは、停止している原発の再稼働を進め、化石燃料の輸入(富の流出)を止めること。二つ目は、インバウンド(訪日外国人)需要のさらなる取り込みです。外国人が日本を訪れてホテルや飲食でお金を使うことは、統計上は「サービスの輸出」としてカウントされ、外貨を獲得する強力な手段となります。そして三つ目は、私たち自身が意識的に国産のデジタルサービスを利用し、デジタル赤字の流出を防ぐことです。

海外に目を向けると、構造転換に成功した事例もあります。

スイスの貿易収支 商品分類別純輸出(1995-2023年)9/9

スイスの貿易収支 商品分類別純輸出(1995-2023年)

出所:UN Comtrade(reporter=スイス、HS2桁、純輸出=輸出−輸入)を基にイズミダイズム作成

泉田氏が挙げるのがスイスです。かつては日本と似た状況にありながら、貿易黒字を稼ぐ国へと構造を変えていきました。上のグラフは、スイスの貿易収支を商品分類ごとの純輸出(輸出−輸入)に分解したものです。燃料・エネルギーや輸送用機器では赤字(0より下)を出しているにもかかわらず、赤色で示された化学品・医薬品が圧倒的な黒字を稼ぎ、青色のスイス時計がそれに次ぐ。この2分野が全体を黒字へ押し上げている構図が読み取れます。資源を持たない小国であっても、高付加価値産業とブランド化された製品に特化することで、強い外貨獲得力を持てるという好例です。

ただし、と泉田氏は付け加えます。スイスは国の規模が小さいぶん打ち手が絞り込めるのに対し、日本は自動車から素材、ITまで産業の裾野が広く、同じやり方をそのまま持ち込むことはできない、と。裾野が広いがゆえに、政策はどうしてもすべての分野へ薄く広く配る「総花的」なものになりがちです。だからこそ、泉田氏は分野を絞ることの必要性を強調します。

「この産業強くするって決めないと、強くなんないんで。選択と集中って言うけど、本当それが必要な局面だとは思いますよ」

まとめ:15年かけて積み上がった構造変化

ドル円が163円台に達し、「有事の円買い」が消滅した背景には、単なる日米の金利差だけでは説明できない、15年という歳月をかけて積み上がったマクロ構造の変化がありました。

2011年を起点とする貿易赤字の定着、外資系サービスへの依存によるデジタル赤字の拡大、対外純資産の相対的なシェア低下、アメリカの純輸出国転換、そして日本企業の現地再投資によるキャッシュフローの悪化。これらすべての歯車が「円が買われない」方向へと噛み合ってしまっているのが、現在の為替市場の実態です。

投資家として為替相場に向き合う際は、目先のニュースや金利動向だけでなく、こうした国と国の根底にある「稼ぐ力」の構造変化を冷静に見極める視点が求められています。

参考資料

  • 財務省「貿易統計」(通関ベース・確報)
  • 総務省「令和7年版 情報通信白書」
  • 経済産業省「第6回 半導体・デジタル産業戦略検討会議」資料
  • 財務省「本邦対外資産負債残高」
  • 日本銀行「本邦対外資産負債残高(年次・BPM6)」
  • 日本銀行「国際収支統計(BPM6)」
  • 財務省「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋」(2024年3月)
  • IMF「International Investment Position」
  • U.S. Energy Information Administration (EIA)
  • UN Comtrade(スイスの商品分類別貿易統計)
  • YouTubeチャンネル「イズミダイズム」

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