韓国メーカーが世界のメモリー半導体市場で高いシェアを獲得できた主因は、果敢かつ大規模な設備投資とスピーディーな経営判断に尽きる。いわゆる韓国ならではの「オーナーによるトップダウン経営」が極めて有効に作用したからだ。日本は新規投資に対する経営判断が遅く、「ボトムアップ経営」と称される極めて慎重な経営しかできていなかった。いずれにせよ、こうしたメモリー市場でのシェア逆転を契機として、日本は半導体装置・材料を韓国メーカーに供給することになる。

 メモリー半導体の微細化とともに、装置・材料の性能も高くなった。モノづくりに卓越した日本勢は、世界に通用する、誰にも簡単には作れない半導体のコア装置・材料を韓国メーカーに納めてきたのである。他方、韓国企業はひたすら成長するために、短期間で結果が得られる業種に偏った結果、少品種大量生産が可能なメモリー半導体に特化してきたわけだ。

 韓国としても、コア装置・材料の国産化率アップを国家レベルで過去数十年間進めてきたが、日本製の性能に迫るような質のものは作れなかった。また、半導体ビジネスで最も重要な歩留まりを確保するには、日本製のコア装置・材料が最適であった。

 したがって、東京エレクトロンや旭化成、森田化学や昭和電工などは韓国にコア装置・材料の大半を供給して潤い、サムスン電子はその装置・材料を生かし、メモリー業界トップを堅持するほか、世界中にスマートフォンなどを売り、世界的な超一流企業に成長した。つまり日韓は、緊密かつ相互協力が不可欠なシステムを構築しながら、お互いを高めあってきたのである。

部品・材料・装置開発に毎年1兆ウォン投資

 韓国の部品・材料産業は18年に3163億ドルを記録し、全体輸出額6055億ドルの半分強を占めるほどに高成長を遂げている。これは韓国政府の長期的な部品・材料育成プロジェクトが功を奏したためである。

 韓国が部品・材料育成プロジェクトを開始したのは1999年からだ。当時、自動車、電子、機械の3業種を中心に「部品産業の発展戦略」を打ち出した。また、2000年には「部品・材料産業発展特別法」を制定するための行動に出る。特別法には3~5年単位の中長期発展計画の樹立と、年度別の施行計画の樹立および推進義務などを定めた。要するに、生産と需給などのための基礎的な統計作成を制度化した。

 以降、12年の知識経済省(現在の産業通商資源省)の発表によれば、部品・材料品目のうち、世界一流商品に選定された項目は、01年の8項目から10年には37項目に増加。さらに、主要部品の国産化率もディスプレー分野の場合、03年の56.8%から08年には67.2%へ、2次電池分野は同65.6%から78.4%に伸びた。だが、部品・素材の対日貿易赤字額は、10年度は01年比2.3倍の243億ドルとなった。対日貿易赤字の39.2%がコア材料分野から生じた。

 韓国政府は、部品・材料産業の育成など、製造業の復活を促すため、19年に新たに部品・材料産業の育成に乗り出した。製造業の柱である部品・材料、装置産業を集中的に育成する計画だ。このために、「部品・材料の特別法」を改正し、政策対象を装置まで拡大し、100に及ぶコア部品・材料・装置の技術開発に毎年1兆ウォン(約926億円)を投資する方針だ。数年後、韓国の半導体産業はコア装置・材料の国産化を達成して、日本依存から脱却できるのかが問われることになるだろう。

電子デバイス産業新聞 ソウル支局長 嚴在漢

まとめにかえて

 優遇措置撤廃に端を発した日韓問題が連日メディアを賑わしていますが、現状を冷静に分析すれば、今のところ半導体産業に対する影響はそれほど深刻なものではありません。個別許可申請にはなっていますが、実際に対象3品目についても輸出が行われており、当該企業は冷静に対応しているところが大半です。韓国では国産化の機運が高まっていますが、半導体グレードの材料技術を確立するのは、数十年単位の年月を要すると思われます。

電子デバイス産業新聞