昨今、社会問題になっている教育虐待。教育熱心な親が、子どもの勉強や習い事に度が過ぎた強要をし、しまいには暴行や虐待にまで至ってしまうケースが相次いでいます。今回は、誰しもが当事者になるかもしれない教育虐待に潜む問題や筆者の実体験を述べます。

少子化による学力の二極化、一人っ子の増加・・・教育虐待の危険性は誰にでもある

止まらない少子化とともに、昨今は子どもの学力の二極化も激しくなっているようです。教育虐待の背景には「子どもの将来のため」という大義名分や、「自分のようになってほしくない」もしくは「自分はこれだけ頑張ってきて今がある」といった親の理想や成功体験の押し付けが隠されていると言います。

そのため、教育虐待をしている当の親は自身の行動に疑いを持てず、子どもの苦しむ姿やSOSさえ軽く見なしがちに。その結果、心身に過度なストレスを感じたり不登校になったりする子どもは少なくありません。また、子ども自身の性格に歪みが生じてしまったり親子の信頼関係に影響を及ぼしたり、最悪の場合には、しつけや教育と称して親が子どもを死に至らしめてしまう事件も起きています。

親が子どもを教育虐待してしまう理由としては、少子化や競争社会の中で子どもに求めるハードルが高く、またそのハードルも多種多様になっている現状もあるでしょう。受験に合格することは当たり前として、親はプログラミングや体操、ピアノ、水泳などの課外学習や習い事を通して子どものスポーツやスキルを伸ばそうと躍起に。

かつてはきょうだい複数人に分散していた親の期待が、特定の子ども一人に集中し、その子どもに全力を注ぐ親は珍しくありません。教育虐待は、誰しもが当事者になるかもしれない問題なのです。

勉強する意味や自発的な気持ちがなければ子どもは勉強しない

筆者の母は大学受験に失敗し、高卒で銀行に就職。自分自身が大学に行きたかったのに行けなかった後悔から、筆者含めて娘3人には小学生の時から常々「行きたい大学が見つかった時に、選択肢が多くなる程度の学力を身につけてほしい」と言っていました。そして、「“勉強”は強制しないけど、“宿題”は絶対にしなさい」とも。勉強とは自分に足りないことやもっと知りたいことがあった時に自主的にするものであり、宿題は義務としてやらなければいけないものだと教育されてきました。

この「好きな大学を選べるように」「勉強と宿題の違い」という母の考えは、中学生の頃になるとよく理解できました。やるべきことと自分のためにやった方がいいことの区別がつき、いま勉強することでこの先にどんな出来事が待っているのかを具体的にイメージできたからです。「あなたのため」「将来の就職のためにちゃんと勉強をしなさい」といった漠然とした物言いをされていたら、きっと筆者は勉強しなかっただろうと思います。

一方、高校受験の試験日2か月前のある時期、筆者はパタっと勉強をしたくなくなりました。特に大した理由はなく、受験勉強直前の追い込みをする前に少しサボりたくなったのです。テレビばかりを見ていた筆者を見て母は、叱らずに「何かあったの?」と聞いてきました。上記の勉強しない理由を上手に言葉にできず「なんでもない。でも今は勉強したくない」と拗ねていた筆者に対し、母は「まあ、いいか。あと3日くらいしたら勉強再開したらいいよ」と買い物に連れ出してくれました。