買い物をしていると、徐々に受験勉強をしていない焦りが自分の中にムクムクと湧き出てきた筆者。結局、買い物を切り上げて帰宅し、すぐに机に向かいました。母は、筆者が自発的に「勉強する」エネルギーが出なければ勉強しないことをわかっていたのかもしれません。
結局、筆者たち姉妹3人は全員が地元の志望高校、志望大学に現役合格。筆者に至っては、予備校に通わずに赤本で過去問をひたすら解くという勉強法で早稲田大学に合格できたので、母の教育によって自発的に勉強する力が身についていたのだろうと今になると感謝しています。
ある程度の子どもの自主性は、自己肯定感や生きていく自信にもつながる
7月下旬に放送された「水曜日のダウンタウン」(TBS)では、「トンビがタカを生むにも限界ある説」と題して、中卒の親を持つ東大生の女性にインタビューした様子を放送。その女性は、「トンビが生んだものはトンビだけど、親のトンビの育て方が良かったからタカっぽくなった。今の私があるのは親のおかげ」と語り、ネット上では称賛の声があがっていました。
子どもを自分の分身だと思うがあまり、子どものためを思って「こうなってほしい」「こうならないでほしい」という期待や理想を押し付けてしまう教育虐待。しかし、多くの教育虐待における「子どものため」は親による「自分のため」であることも少なくありません。
子どもが勉強のやる気を失った時、「勉強しなさい」と叱るよりも、会話をしたりゆっくりと子どもの自己決定を見守ったりする方が、自分から勉強するきっかけになることもあります。筆者の経験から言えば、勉強や受験で親がある程度の自己決定権を尊重してくれたことが、自己肯定感や生きていく自信を育ててくれたと思います。
子どもは自分とは別の人間であり、理想や期待を押し付けることは不毛であると自覚すること。「とにかく子どもに勉強をさせなければいけない」と焦るのではなく、勉強する意味や理由を各家庭の教育方針として固め、具体的に説明した上で子どもの自主性を見守ること。子どもの教育に悩んだ時には「これは本当に子どものためなのか、それとも自分のためなのか」を立ち止まって考えること。場合によっては専門家に相談することも必要かもしれません。
当たり前のことですが、子育てに一生懸命になればなるほど、こうしたことを見失いがちになります。教育虐待をして子どもを苦しめる親にならないために、時には立ち止まって考えてみることも必要なのではないでしょうか。
秋山 悠紀