この2件のエピソードを友人に愚痴ると、みな一様に「わかる!」と共感してくれました。
そして友人たちも、大なり小なり「可哀想」の言葉に傷ついてきたことが判明したのです。
「ミルク飲ませていると、母乳じゃなくて可哀想と言われた」
「乳児湿疹のホッペを見て、通りすがりの人に『まぁ!可哀想なホッペタ』と言われた」などなど、よくもまあ可哀想のネタを目ざとく見つけるものだと感心するやらあきれるやら。
子ども可愛さで発したのかも知れませんが、素直に「ありがとう」と受けとめられるママは果たしているでしょうか?「可哀想」と言われると、傷つき、自己嫌悪に陥るママがほとんどのはずです。
だって、「可哀想」の言葉には、「子どもをこんな目にあわせて…あなたはママ失格よ」という気持ちが隠れているような気がしてならないからです。そこまでの気持ちはないにしろ、どこかでママを見下しているのは事実ではないでしょうか。そして、「私の子育て、これでいいのかしら?」と日々手探りで子育てしているママは「うちの子どもは可哀想じゃありません」と正面切って反論できる自信がないからです。
とにかく「可哀想」この言葉ほどママを傷つける言葉はない、と筆者は思うのです。
自己嫌悪に陥るくらいなら
「可哀想」と言う人に対して、正面切って反論する必要はありませんし、自己嫌悪に陥る必要もありません。ただ、「あぁ、この人は、そんなことを言ってこっちが傷つくんだ、という想像力が欠如しているんだ」と心の中で思っておけばOK。
そして、そっと子どもを抱きしめてみましょう。自分の腕の中で安心した表情を見せる我が子は、果たして可哀想に見えますか?いいえ、世界一幸せそうに見えるはず。
関係ない人の言葉に傷つく必要はありません。我が子にとって世界一のママなら、それでいいんです。
大中 千景