堀江氏の“税金泥棒”発言については、納税が福祉を充実させるためにあるという社会保障の観点から逸脱しているようにも思えました。

納めた市民税分以上に図書館をたくさん利用している人は税金泥棒なのか。ふるさと納税で寄付している人は、所得税や住民税の還付を受け、その上特産品まで受け取っているのだから税金泥棒なのか。急病によって救急車で運ばれたことがある人は税金泥棒なのか。年金含めて税金はすべて「みんながみんなを支えるため」に使われるもの。堀江氏の観点で言うと、納税よりも受けた恩恵の方が多ければ“税金泥棒”ということになってしまいます。

また、「年金や政府に不満を持ってデモをする暇があるなら、効率よく働いて税収を増やすべき」という発言は、専業主婦や生活保護受給者など、家庭や病気等の理由で働くことができず直接的には納税できない人の肩身を狭くすることにもつながるのではないでしょうか。そもそも年金制度とは高齢のために働けない高齢者を年金で支えるという仕組みであるにも関わらず。そして本来は働くことができず納税をしていなくても、デモには参加していいはずです。

また「効率の良い労働で税収を増やせ」という堀江氏の発言は的外れではないものの、「納税している人こそ偉い」という認識を強めすぎている気がします。子どもを産んでいたり育てたりしていない人に対して「将来的な納税に寄与しているのか?」と批判しやすい流れさえ作ってしまうのではないでしょうか。

経済強者の堀江氏が発するからこそ“税金泥棒”という発言は、いかにたくさん納税するか、そして将来的に税を多く収める納税者をいかに生み出すかのみで人間の価値が語られる社会へと誘うものではないかと不安に感じます。

「将来、年金がもらえない」と言われてきた世代ではあるけれど…

筆者は、本当に世の中のために使われるなら納税額が増えてもいいと思っています。払った年金領よりも将来受給する年金が少なくなったとしても、経済弱者を救ったり子育て支援をしたりして、社会や人々のセーフティネットのために富の再分配が正しく平等に行われる国に生きられるのであればいいのではないかと。

平成生まれの筆者がこうしたドライな感覚を持っているのは、物心ついた時から「今の若者は将来、年金がもらえない」と言われ続けてきたからかもしれません。しかし、世の中を変えたいと思うデモ参加者を見下すようなコメントが社会的影響力のある人から発信されることについては、ドライではいられませんでした。年金問題に限らず、差別や法改正などあらゆるデモに人々が参加し辛くなる空気が醸成されてしまいかねないからです。

「年金だけでは豊かな老後が暮らせない」ことはわかっているものの、今の日本は年金以外の貯蓄を作るための労働環境や上がらない給料、子育て世帯の負担など年金と地続きで解決すべきお金の問題が山積み。そもそも年金に限らず、個々人が払った税金がしっかりと世の中のために使われていると感じられる社会であればここまでの事態に発展しないはずです。

年金問題への関心が高まり続ける中、堀江氏の“税金泥棒”発言もまた、引き続き多くの人の賛否を集めそうです。

富士 みやこ