それは決して「子どもの存在をうっとうしく感じる」わけでも「子どもを産んだことを後悔している」わけでもないのです。ただ単に、「こう、と決めたことを最後までやり遂げたい」という願望の表れなのです。

食事を最後までゆっくり味わう、お風呂で体のすみずみまでしっかりと洗う、落ち着いて用を足す。やって当たり前、できて当然のことができない苛立ちは、かなりのストレスになります。

そして、自分の時間を邪魔する相手というのが、世界で一番愛おしい存在、というのも事態を厄介にしている一因。

例えは悪いですが、急いでいるのに、前に道いっぱいに並んでおしゃべりしながらゆっくりと歩いているグループが立ちはだかっている。「すいません」と何度か声をかけるのに、まったく気付いてくれない。

そんなときは、「なんなのこの人たち、常識ないなぁ」と怒りを相手に向けることができます。家族や友人に「こんな非常識な人がいてさ…」とグチることも可能です。

でも、おいしいコーヒーを淹れて、いざ飲もうとしたら「ウンチ出た」という子どもの訴え。おむつを替え、手を洗い、アレコレしていると、すっかりコーヒーは冷めてしまった…。

こんなとき、「もう、なんでこのタイミングでウンチなのよ!」と一瞬思っても、すぐに「あぁ、こんなこと思うなんて、私はひどいママかも」と、自己嫌悪に陥ってしまいませんか?

家族に「せっかくコーヒー飲もうと思ったのに、ウンチしたんだよ!」なんてグチっても、「出ちゃうものは仕方ないじゃん」で片づけられるのがオチ。「今これしたかったのに…」という怒りや失望は、自分の心で片づけるしかないんです。

幸せ、しんどい、どっちも本音

「大変なのは今だけ」「すぐに手がかからなくなる」これを呪文のように繰り返しても、あまり効果はないかもしれません。だって、いつかくる未来に思いをはせても、今の大変さは変わらないのですから。

子どもがいることは嬉しい、幸せ。でも、生活が制限されてストレスに感じるのも事実。自分が望んで今の生活があるとはいえ、たまにはグチや弱音は出てしまいますよね。だって、本当に大変なんですから。世のお母さん、本当にお疲れさまです。

大中 千景