「創造的なスキル」は、アーティストやデザイナー、発明家など、一部の「創造的な人々」のためのものだと、私たちは考えがちです。しかし、欧州トップクラスのビジネススクールのひとつ「IEビジネススクール」で教鞭を執るニール・ヒンディ氏は、「合理性や技術の積み重ねだけではモノが売れなくなったいま、新しい製品・サービスをつくるためには、『創造的なスキル』は不可欠だ」と話します。

 同氏は、売れ行き好調の著書『世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること』の中で、企業の従業員が創造的なスキルを高めるためには、昨年や一昨年といった中途半端な「過去」ではなく、はるか以前の時代を参考にすべきだと強調します。同書から、その理由をひもときます。

普通の企業は「以前はどうだったか」で動く

 企業は普通、「以前はどうだったか」に注目するよう設計されている。たとえば、昨年はどうだったか、そしてそれを改善するにはどうすればよいか。過去のデータや事実に基づいて、企業は手順を決め、それを完全なものに仕上げていく。仕事に習熟することでリスクは抑えられ、効率性は高まっていく。しかし、いわゆる「左脳型」「右脳型」という考え方に当てはめると、左脳型の思考で過去ばかりに目を向けるのは危険性が高い。

 これらの活動が好循環を生むのは、あくまで「環境に変化がなければ」の話だ。将来(いや、現在と言ったほうがいいかもしれないが)、そこに過去とは異なる状況が生じたら、こうした活動をしている企業は深刻な事態に陥る。ビジネスモデル・慣行・手法、すべてのものが突然、時代遅れになってしまうことだって考えられる。過去にばかり目を向けていては、未来をつくることはできない。

 左脳型思考を極め、硬直した組織をつくり上げてきた私たちは、「創造的スキル」の開発・維持をおろそかにしてきた。もちろん分析的思考・データ・測定・実行の重要性を疑問視するつもりはまったくない。実行力は極めて重要だ。しかし、未来をつくり、新しい製品を開発し、新サービスを提供するには、「創造的スキル」が不可欠なのだ。

史上まれに見る「創造的な時代」とは?

「以前はどうだったか」にばかり目を向ける思考は、企業にとって危険な罠となりかねない。だが、矛盾したことを言うようだが、過去は私たちに多くのものを与え、多くのことを教えてくれる。

 ただし、ここで言う「過去」は、1年前でも、10年前でも、50年前でもない。それは500年以上前のルネサンスの時代だ。人類の歴史上でも、まれに見る「創造的な時代」だったと言えるルネサンスの影響は長く及び、革新性に富んだこの時代から、私たちはいまも貴重な教えを受けることができる。

 ルネサンス期のフィレンツェには、すばらしい芸術作品、画期的なアイデアが生まれ、その影響はいまの私たちの生活にまで及んでいる。アイデアの中には、たとえば特許制度のように、現代社会にしっかりと組み込まれているものがある。社会や文化だけでなく、サイエンスやエンジニアリング、ビジネス・産業の分野にもそうしたアイデアが見られ、現代の私たちの生活に多大な影響を及ぼしている。

ルネサンス的思考を体現する天才・ブルネレスキ

 たとえばフィリッポ・ブルネレスキ(1377~1446年)は、すばらしいルネサンス人の一人だ。ルネサンスと聞いて彼の名を思い出す人はほとんどいないが、ぜひ覚えておいてほしい。建築家・エンジニア・彫刻家・発明家、そして船の設計者だったブルネレスキこそは、私たちが過去200年間、産業革命とその成果に目を奪われている間に失ってしまったもの、ルネサンス的思考を体現する人物なのだ。

 ブルネレスキは、いまもフィレンツェのシンボルとして知られるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームを、時代のはるか先を行く工法を用いて完成させた。だが、さらに重要なのは、彼が距離感を表現できる「線遠近法」を再発見したことである(古代ギリシャ・ローマなどの時代にも、モノの配置や色の濃淡などを利用した遠近法は使われていた)。

 1420年ごろ、ブルネレスキは線遠近法を再発見し、三次元の空間を二次元の平面上に信じられないほどリアルに表現できることを示した(別写真参照)。この再発見によって、アート・建築・サイエンスの歴史の流れが大きく変わったのである。

画面上のある点(消失点)に向けて線を集約させ、その線に沿って大小をつけてモノを描くことで遠近感を表現する「線遠近法」

なぜルネサンスは成功したのか?

 だが、ルネサンスはなぜあれほど大きな成功を収めたのだろう。豊かなアイデアが生まれた背景には何があったのだろう。さまざまなアイデアや革新性をもたらした要因を挙げていくとキリがない。だが、当時のようすを振り返ると、どうしても無視できない点が一つある。

 この時代には、「アートとサイエンス・エンジニアリング・数学・哲学が区別されていなかった」のである。これらは共存するもの、あるいは一つのものと考えるのが普通だった。当時の学生は、当然のようにさまざまな分野を学び、さまざまな仕事に必要な知識を身につけた。

 ルネサンスの立役者となったフィレンツェのメディチ家は、「全体は部分の総和に勝る」ということをよく理解していた。メディチ家は、定期的に新しい人材を迎え、新しいアイデアを取り入れることがいかに重要か、そして、「創造的活動に対する一番の脅威は、現状への満足感と安心感であること」を認識していた。

 フィレンツェを偉大な都市にするには、最も優秀な新しい人材が必要で、彼らを刺激し、新しい知識に触れさせなければならない。メディチ家はそう考えて、古代ギリシアやローマの貴重な文献を探すため、遠い国まで広範囲に人を送った。彼らは、過去の知識に触れることで新しいアイデアが生まれ、それがいまに活かされることを意図したのだ。

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ルネサンス的思考を「復興」する

 しかし彼らの考え方は、ルネサンスの時代に置き去りにされてしまったようだ。現在は専門化が重視されるが、当時は、いまの時代でいう「イノベーション」は、新しいアイデアや借り物のアイデアなど、さまざまなアイデアが集まってこそ生まれるものと考えられていた。

 その考えに誤りはない。だからこそ私は疑問なのだ。どうしてサイエンティストの頭脳とアーティストの感性や創造性を組み合わせようとしないのか。異分野の人々と一緒にものごとに取り組んでシナジー効果を得る方法を探ろうとしないのはなぜなのか?

 ルネサンスの時代には、急激な変化や、私たちがいま抱えているような問題に対処する必要がなく、時間をかけてアイデア・アート・建物・都市を生み出していけばよかったのだと言うこともできるだろう。実際、そうだったかもしれない。しかし、ルネサンスのような繁栄の時代が「偶然の産物」だったというようなことはありえない。

 ルネサンスのリーダーが古代ギリシアやローマの知識を求めたように、私たちも発展・進化を願うなら、この時代に目を向ける必要がある。ルネサンス的思考の「ルネサンス」、つまりルネサンス的思考を復興するときが来たのである。私たちは大成功を収めたルネサンス期に勝るとも劣らない時代を築くことを目指さなければならない。

(翻訳:小巻靖子)

■ ニール・ヒンディ(Nir Hindi)
 イスラエル・テルアビブ出身。起業家。The Artian創業者。現在、スペイン国王フアン・カルロス1世によって設立され、同国内で革新を促進する組織である「コテック」の100人のエキスパートの1人であり、マドリードにある欧州を代表するビジネススクールの一つであるIEビジネススクールの客員教授、デザインスクールIstituto Europeo di Designの客員講師を務める。

ニール・ヒンディ氏の著書:
世界のビジネスリーダーがいまアートから学んでいること

ニール・ヒンディ(Nir Hindi)