模倣と創造の関係
イカゲームが本当にパクリかどうかはさておき、日本ではいわゆる“パクリ認定"の風潮がどんどん激しくなっているようです。その原因として「模倣民族の暗黒史説」も個人的には一理あると思うのですが、やはり、これは日本ではスタンダードではないでしょう。
「時代が違う! いまは知的財産を守る厳格なルールがある」。これが標準的な意見だと思います。
しかし、多くの人々が絶賛する発明でも、細かく検証すれば既存の技術の組み合わせであるという例は存在します。特許技術の基本的な考え方も、既知の技術の組み合わせが特許の対象に絶対にならないということはありません。
その技術のもたらす便益が既知技術の合算ではダメですが、合算以上の新規性や進歩性があれば特許の対象になる場合もあります。
「日本人は決して単なる模倣民族ではないと思う。吸収消化する民族である」。これは、松下幸之助の1965年の言葉です。“模倣民族ではない"というあたりに、やはりコンプレックスを感じてしまいますが、吸収消化の先に模倣を超えた創造があるのは事実です。
もちろん日本人の模倣が、すべてその高みに到達していたとは考えませんが、少なくない成功事例はあると思います。
模倣も素晴らしいじゃないですか。どこが悪いのでしょうか。