少数者向けサービスの対価を皆が負担すべきか

土曜日に配達を必要としている人、急ぐ人も少数ながら存在しているはずで、そうした人は速達料金を払わされるので今回の変更に不満でしょう。しかし筆者は、「急ぐ人がかわいそうだから、今次変更を撤回しろ」というつもりはありません。

少数の急ぐ人のための制度が多くの労働力を必要とするのだとすれば、その分のコストは急がない多くの人たちも含めて皆で負担しているわけで、多くの人たちの利益を考えれば今次変更は良かったと思っています。

この考えを一歩進めると、たとえば離島への郵便配達を毎日行なうべきかといったことも考える必要があるでしょう。離島の人が急ぐ郵便を出したり受け取ったりするケースはそれほど多くないでしょうから、たとえば1日おきの配達にすれば良いかもしれません。

それによりコストが大幅に削減できるでしょうから、労働力不足による賃金上昇分が吸収されて郵便料金の値上げが不要となるかもしれません。そうなれば、多くの利用者のメリットとなるはずです。

重要なことは、コストは利用者が払っているということです。「離島の人がかわいそうだから、毎日配達しろ」と言うのであれば、「離島の人がかわいそうだから、毎日配達しろ。そのためにコストがかかる分は俺たちの郵便料金を値上げしても良いから」と言わなければならないわけで、その覚悟が一般利用者にあるのか否かということですね。

本稿は以上です。なお、本稿は筆者の個人的な見解であり、筆者の属する組織その他の見解ではありません。また、厳密さより理解の容易さを優先しているため、細部が事実と異なる場合があります。ご了承ください。

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塚崎 公義