東芝がパソコン工場の売却を発表

2016年12月20日、東芝(6502)は青梅事業所の土地を27日に約100億円で野村不動産に売却すると発表しました。青梅事業所の閉鎖・売却は、昨年12月21日に発表された「新生東芝アクションプラン」において公表済みでしたが、今回の発表により、売却先、金額、時期等が確定したことになります。

青梅事業所は1968年に設立され、約半世紀にわたり東芝のコンピュータ関連事業の主力工場として様々な製品を世に送り出してきました。具体的には、80年代に一世を風靡したワープロの「ルポ」、その後はパソコンの「ダイナブックシリーズ」ですが、HDD(ハードディスクドライブ)の開発も行われてきました。

ちなみに、現在、全ての生産は中国の杭州にある東芝情報機器杭州社に集約されており、青梅事業所は開発拠点となっています。閉鎖・売却後、その役割は都内の事業所に移管される見通しです。

“時代の流れ”と言ってしまえばそれまでですが、長い間、日本のパソコン産業を支えてきた青梅事業所がなくなることには一抹の寂しさを感じます。そこで、同工場の最後の姿を見ておきたいと、筆者は青梅まで行ってきました。

青梅事業所までの道には夜の歓楽街があった

青梅事業所は、JR青梅線の小作駅から徒歩で約10分程度の場所に位置しています。印象的であったのは、駅前から事業所に着くまでに数多くの「夜の飲食店」があり、企業城下町の風情があったことでした。

筆者が訪れたのは午前中でしたので、夜の賑わいがどの程度であるかは確認できませんでしたが、最盛期には4,000人を超える従業員が働いていた青梅事業所が閉鎖されるのは、この街にとって大きなダメージとなっていることでしょう。

青梅事業所の敷地は東京ドーム約2.5個分

ほどなくすると「TOSHIBA」のロゴが付いた大きな建物が見えてきました。「結構、大きいな」というのが第一印象でした。同社の発表資料によると敷地面積は約12万平米、これは東京ドーム2.5個分の大きさに相当します。

閉鎖は2017年3月末、解体は来年度中に行われる

事業所を外から眺めると、まだトラックなどが行き交い、一部の事業は継続しているようでした。同社の発表資料によると、閉鎖は2017年3月末、建物の解体工事は2018年3月期中に行うとのことなので、最後の業務が行われているのだと思います。

事業所周辺は工場と住宅が入り混じる

せっかくなので、事業所を一回りすることにしました。そこでの気づきは、築年数が比較的浅い立派な大型マンションが多いことでした。化学、医療機器、物流などのそこそこ大きな事業所も見られましたが、どちらかというと閑静な住宅街という印象でした。

青梅は圏央道の開通で物流面で便利な場所であるので、事業所立地としてもまだ伸びる余地はありそうです。また、都心まで1時間程度と通勤・通学に便利であること、奥多摩も近く自然環境にも恵まれていることから、住宅地としても発展が期待できると感じられました。田舎でも都会でもない青梅はとても良い街だと思います。

もしもトランプ氏が青梅にいたら

帰り道に、もし青梅に米国次期大統領のトランプ氏のような政治家がいたらどうなったのだろうか、という考えが唐突に浮かびました。ご承知のように、トランプ氏はあらゆる交渉手段を使い、米国からメキシコへ工場が移転することを阻止しようとしています。そのような人物が、もし青梅に現れたら?

少し考えた後の筆者の結論は、おそらくトランプ氏でも青梅事業所の閉鎖は止められないだろうというものでした。

理由は、ノートパソコン市場の競争が激しすぎるためです。ノートパソコンは機能面での差別化が困難になっているため、価格競争が非常に厳しい市場です。また、ノートパソコンの役割がスマートフォンに置き換えられ、日本のみならず世界的にも市場が縮小傾向にあります。こうした市場で勝ち残るためには、“ナンバーワン”になる以外にはないと考えられます。

ちなみに、世界のノートパソコン市場での“ナンバーワン”は、HP(ヒューレット・パッカード)です。HPの市場シェアは約20%、これに対して東芝は2%程度に過ぎません。日本HPのホームページを見ると、同社の製品は「東京生産(MADE IN TOKYO」(東京都日野市)であるとのことです。それが可能なのは、おそらく圧倒的なシェアの大きさによるものと推察されます。

いずれにせよ、東芝が世界のノートパソコン市場でトップになれなかったこと、不正会計により事業の劣化に対する根本的な対処が遅れたこと、また、そのためにノートパソコン以外に青梅事業所を活かすための事業を創出できなかったことなどが悔やまれます。やはり「もしトラ」はありえない、そう考えながら帰途につきました。

 

和泉 美治