ここ数年、フィデューシャリー・デューティーは米証券業界を揺るがす中心的な話題の一つであり続け、金融機関にとっては頭痛の種でしたが、トランプ政権の誕生で状況が一変し、かつての大騒ぎは忘れ去られようとしています。

フィデューシャリー・デューティーの新ルール、来年4月から適用開始の予定

米労働省は2016年4月8日、フィデューシャリー・デューティー(Fiduciary Duty:以下、FD)※の強化を内容とする新ルール(Fiduciary Rule:以下、FR)を公表し、2017年4月10日から適用が開始されると発表しました。

※フィデューシャリー・デューティー(受託者責任)とは、信託受託者が信託委託者及び受益者に対し負う義務に関する概念のことで、主に資産運用に関連して発展してきたもの。

証券会社と個人投資家の間には利益相反のリスクが存在しており、証券会社は顧客に対し、最適な商品ではなく、手数料の高い商品を勧誘しているとの批判は少なくありません。

米国ではこれまで、証券会社に対しては“適合性の原則”が課せられてきました。これは、投資家(顧客)の知識や経験、財務状況をしっかりと考慮に入れて、一人ひとりの顧客にふさわしい商品を販売しなければならないということです。

しかし、“適切”であることが“最適”であるとは限りません。すなわち、適切に分散投資されたポートポートフォリオであっても、コストが高く、投資家に不利益が生じている可能性があります。端的に言えば、より低いコストでほぼ同じリスクのポートフォリオを組める可能性があるにもかかわらず、顧客は販売手数料のより高い商品を買わされるかもしれないということです。

実際、大統領経済諮問委員会(CEA)は2015年2月、利益相反のコスト、すなわち顧客の利益が優先されず、手数料の高い商品が推奨されることで毎年1%の運用利回り低下を招いていると指摘しています

FDが課されると、適合性の原則よりさらに厳しい投資家保護の条件が加わります。中心的な課題は利益相反行為の回避にあり、“顧客利益の最優先(ベスト・インタレスト)”のために行動することが求められます。

したがって、類似した商品でありながら手数料の高い商品を販売した場合には損害賠償の対象になりますので、証券会社は手数料で稼ぐという従来のビジネスモデルを維持することが難しくなります。こうして、FDの適用範囲を証券会社へと拡大する動きを受けて、米証券業界は大騒ぎとなっていたわけです。

トランプ政権誕生で事態が一変、FRの適用開始は見送りへ

しかし、トランプ政権が誕生したことで状況は大きく変化し、FRの適用開始は見送られる公算が大きくなっています。

11月11日付けのウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)によると、トランプ次期大統領からの直接の言及はありませんが、顧問のアンソニー・スカラムッチ氏がFRは「撤回する」としているほか、共和党主流派もFRにはもともと反対していたことから、停止もしくは撤回される見通しです。

共和党は、FRを阻止するための法案を通す必要がありますが、上院では民主党がフィリバスター(議事妨害)により提出された法案をことごとく廃案にすることも可能ですので、共和党の意向がすべて反映されるとは限らず、民主党との妥協を迫られることになります。

したがって、当面は実施を先送りし、その後民主党に譲歩しつつも、最終的には証券社会の従来のビジネスモデルを崩さないルールとなり、法的義務も最小限に留まる見通しです。

低コストのパッシブ運用への資金シフトが止まる?

FRの適用見送りは多大なコスト負担の回避となりますので、証券業界が大歓迎なのは誰の目にも明らかなのですが、やや意外なところでは、ここ数年は苦境が伝えられることの多かったアクティブ型のヘッジファンドがにわかに注目されています。

FDでは顧客の“最善の利益”が求められることから、過去1年、コストの高いアクティブ型のファンドから低コストのインデックス・ファンドやETF(上場投資信託)などへと大量の資金が流れ込んでいます。しかし、来年4月のFR適用開始が見送られるのであれば、これまでに流出した資金が再びアクティブ・ファンドへと還流するのではないかと期待されています。

ただし、アクティブからパッシブへのシフトは過去20年続く大きな流れであり、資金が逆流するとの考えには懐疑的な見方もあります。また、長期的に見ると、アクティブ運用のリターンは必ずしもパッシブ運用を上回ってはいない、との指摘も少なくありません。

ロボ・アドバイザーには逆風か

証券会社の利益相反を回避する方法として、資産の運用残高に応じて定率の報酬(フィー)を支払う定率報酬制が挙げられています。

バンク・オブ・アメリカは10月6日、傘下の証券会社メリルリンチが運用するコミッション・ベース(商品の売買に応じて手数料を取る方式)の退職年金口座をすべてフィー・ベース(資産残高に応じて手数料を徴収する方式)にすると発表しました。11月9日にはJPモルガン・チェースも同様にコミッションの徴収を原則としてやめるとしています。

FDが強化されると、販売手数料の受け取りが困難になり、これまでのような投資助言サービスは提供できなくなる恐れがありました。ポール・ライアン共和党下院議長も「小口の退職プランからアドバイスを奪う」としており、共和党もこの点を懸念しています。

こうした流れから注目されていたのがロボ・アドバイザーです。バンク・オブ・アメリカは10月4日、来年4月からのFD強化の動きに対応し、小口の投資家を対象としたロボ・アドバイザー・サービスの導入ガイドラインを公表しました

一般に、老後資金など長期的な運用で頻繁に売買をしないのであれば、フィー・ベースよりもコミッション・ベースのほうが有利と言われています。これまでのところ、ロボ・アドバイザーはFDの対象から外れていると解釈されており、運用資産の規模が小さくフィー・ベースでのサービスには不向きな顧客に対するサービスとしても期待されていました。

このように、FD強化の流れを受けて米国での顧客サービスはコミッション・ベースからフィー・ベースへと大きく傾いていましたが、今後はこの流れが変わるかも知れません。そして、フィー・ベースでは不都合が生じる顧客への受け皿として期待されていたロボ・アドバイザーですが、目先は潜在的な需要の低下が見込まれますので、普及に影響する可能性もありそうです。

貯蓄から資産形成へ、コスト管理も自己責任でしっかりと

日本でも、金融庁が金融行政方針を公表し、“顧客本位の業務運営”としてFDの確立と定着を求めています。金融庁も問題の所在はしっかりと認識しており、「手数料稼ぎを目的とした顧客不在の金融商品の販売」と「商品・サービスの手数料水準やリスクの所在が顧客に分かりにくい」ことを課題として挙げています。

“貯蓄から投資へ”というフレーズをよく耳にされると思いますが、金融庁のリポートにもあるように、より正確には貯蓄から“資産形成へ”となります。単に投資をすることを目的化せず、分散投資などによるしっかりとしたリスク管理も求められているということです。さらに、資産を形成する上でポイントとなるのが運用コストです。

金融庁の調べによると、日本の代表的な投資信託の販売手数料は3.20%、信託報酬が1.53%(年率)なのに対し、米国ではそれぞれ0.59%、0.28%となっています。日本と米国を単純に比較するわけにはいきませんが、特に少額でコツコツと老後資金を積み立てる投資家にとって、販売手数料や信託報酬の差は将来の受取額に大きく影響します。

金融庁が課題として挙げていることからも分かる通り、残念ながら日本ではまだ“顧客本位”のサービスが提供されているとは言い難いのが実情です。トランプ政権の誕生により、近い将来、米国で金融機関の窓口販売にFDが義務付けられるとは考えづらくなりました。状況は日本も同じと言えるでしょう。

今回は米国でのFDをめぐる最近の動向を主に証券会社の視点から見てきましたが、個人投資家にとっても手数料などのコスト管理の重要性が改めて浮き彫りとなったのではないでしょうか。

 

LIMO編集部