日本で救援にあたったUSARのリーダー、ミッチェル・ブラウンさんは、出発前、放射能汚染の心配があることに触れ、活動に危険性が伴うことを承知の上で、今回の任務に臨むことを表明していました。これは隊員たちも同じ気持ちでした。

生存者を見つけ出すことこそできませんでしたが、ニュージーランドの隊員たちは厳しい環境の中で、捜索・救助活動を展開しました。その真摯な態度こそが、日本に感謝する気持ちをそのまま伝えるものでした。

地震をめぐり、強まった両国の絆

地震の際、お互いの国を思って行われたのは救援隊の交換だけではありませんでした。東京にいるニュージーランド人がまずカンタベリー地震の被災者のために募金活動を始めました。ラグビーワールドカップと同年だったため、関連組織や企業が寄付をしてくれたといいます。

そして起こった東日本大震災。在日ニュージーランド人は、集まったお金の半分をカンタベリー地震の被災者、もう半分を東日本大震災で被災した子どもたちのためのためのホームステイプログラム、「サポート・アワ・キッズ」の設立に当てました。

カンタベリー地震のために、日本政府がニュージーランド赤十字社に対して行った緊急無償資金協力は 50万NZドル(約3000万円)だったそうです。一方、 ニュージーランド政府が東日本大震災のために、日本赤十字社を通して援助を申し出た際の義援金額は、100万NZドル(約6000万円)でした。

大地震という不幸な出来事をほぼ同じ時期に経験したニュージーランドと日本。それを縁にお互いの国のことを思いやる関係になりました。今は新型コロナウイルスが二国の間に立ちはだかっていますが、特別に育まれた両国の絆は、これからも弱まることはないでしょう。

参考資料

クローディアー 真理