最後の最後まで続けた「捜索」活動

CTVビルで、当初JDRは24時間体制で捜索・救助活動に専念したそうです。3月3日にはニュージーランド政府が、捜索・救助活動から遺体発見にフェーズを移すことを発表したのですが、JDRが行った活動は最後まで「捜索」活動だったと、隊員の1人は話しています。

捜索・救助活動にしても、がれき撤去作業にしても、ニュージーランド側は、進んだ技術を持つ日本サイドに期待していたといわれています。

さらにJDRは定期的に会見を行い、日本から駆け付けた行方不明者の家族やマスコミに対しての情報提供も行いました。現場に立ち入ることを許されない犠牲者の家族に代わり、花を預かり、献花もしたそうです。

第二陣はCTVビルでの活動を第一陣から引き継ぐと同時に、市内の復旧を念頭に入れた捜索支援活動を担当しました。第三陣は建物の解体作業を行う前に、今一度捜索と所持品の回収を行いました。これを終え、捜索は完了です。

JDRの活動目的は生存者を救出することでしたが、残念ながら生存者は見つかりませんでした。地元の消防団員や救援隊員と共に、無残な姿で残るCTVビルに向かって、各陣ともJDR隊員は黙祷を捧げ、活動を終えました。

ヒーロー待遇で迎えられたJDR

実際、真摯で前向きな活動を行ったJDRですが、活動地であるクライストチャーチに到着するまでにすでに市民から大歓迎を受けていました。機内では、機長自ら、隊員の搭乗を機内放送で乗客に知らせると、大きな拍手がわき起こったそうです。

またニュージーランドに着き、空港内を移動している時、人々は握手を求めたり、拍手を送ったりしました。皆心から感謝の気持ちを伝えていたのです。活動現場近くにある教会の牧師さんは、周辺に住む人々の感謝の気持ちを代表し、全隊員に心温まるメッセージ入りのカードと、プレゼントを贈りました。

市民だけではありません。ジョン・キー元首相や、アナンド・サティアナンド元総督夫妻といった、国内のキーパーソンも、感謝とねぎらいの言葉をかけました。