藤ヶ谷くんの運命を大きく変えた「ジャニーさん」

小学5年生までは、ごく普通の男の子として生きてきた彼が、どうしてスーパーアイドルになったのか?

1998年11月8日、「オーディションに行きなさい」と言われ、嫌々オーディション会場に行くことになった藤ヶ谷少年。何のオーディションなのかも知らず。

実は彼の叔母さんが、事前に勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送っていたのでした。

ジャニーズ事務所のオーディションとは知らず、何がなんだかわからないままオーディションを受けた藤ヶ谷少年。

合格した人はホワイトボードに名前を書かれますが、藤ヶ谷少年の番号はなく、本人としては「やった!帰れる!」という気持ちだったそうです。

そして帰る時、「番号が書かれたプレートを返却しないと・・・」と思った藤ヶ谷少年は、清掃員のようなおじさんに声を掛けました。

「お借りしたこのプレートはどこに返したらいいですか?」

おじさんは「YOUは初日に僕に話しかけるなんてすごいね」と答え、藤ヶ谷少年の番号をホワイトボードに追加しました。

そう藤ヶ谷少年が話かけたのは、あの「ジャニーさん」だったのです。

こうして藤ヶ谷少年は、訳がわからないままジャニーズ事務所入所が決まり、ジャニーズjrとして活動を開始することになりました。

デビューまでの長い道のり

ジャニーズjrとして活動を開始した藤ヶ谷くん。

なんと入所から1か月で雑誌に掲載され、その直後にはKinKiKidsのコンサートにも出演しています。更に翌年には『怖い日曜日 友達のJ君』というドラマにも出演していました。

2000年には、ジャニーズjr内のグループにも加入し、音楽番組にもバラエティーにも出演。

2001年頃までは、ジャニーズjrのエリートコースを歩んでいたように思えます。

そして今、大活躍のあの「KAT-TUN」の前身グループのメンバーにも選ばれていたのです。

もしかしたらデビューできるかも?と思っていた中学生になった藤ヶ谷くん。

ある日ジャニーさんに「YOU、まだ中学生?じゃあ夜の生放送出られないじゃない」と言われ、KAT-TUNの前身グループのメンバーから外されてしまったのです。

突然の事で戸惑ったのではないかな?と思います。そして彼はここから不遇の時間を過ごすことになるのでした。

ついこの間まで一緒に活動していた仲間が先にデビュー。だんだんとバックとしての活動も少なくなってきました。

「『このまま辞めるのかな?』とも思った」と様々な媒体で語られているくらい有名な話です。

その後も先輩のバックで踊る日々を過ごしていた藤ヶ谷くんですが、彼に転機が訪れます。

2003年夏、嵐のバックとしてコンサートに出演することになり、櫻井翔さんのソロ曲でのパフォーマンスで重要な立ち位置で踊ることができたのです。

16歳とは思えない目力を発揮する藤ヶ谷くんですが、このコンサートの最終日、ジャニーズjrに向けて嵐ファンの皆さんが「ありがとう」と伝えてくれたのです。

その感謝の思いを受け「自分も幸せを与える側になりたい」と思ったそうです。

この時点で私の涙腺は崩壊です。

「Kis-My-Ft2」のはじまり、そしてデビュー

そして、ついに2004年、今のキスマイの前身グループ「Kis-My-Ft.」が結成されました。グループが結成されたことで、雑誌やテレビなどの出演も増えました。

翌年には「Kis-My-Ft2」として活動開始。舞台などにも多数出演をし、2005年には『下北サンデーズ』というドラマ出演を果たしました。

しかし、なかなかデビューは決まらない日々。

それでも腐らずに活動を続け、2007年にはあの山P(山下智久さん)主演のドラマ『白虎隊』に伊東又八役として出演したのです。

この白虎隊で藤ヶ谷くんを知り、ファンになったという方も大勢いるようです。

このような日々を過ごしながら、年齢を重ねていった藤ヶ谷くんですが、気がつけば24歳。ジャニーズ事務所入所から13年の月日が経っていました。

そしてようやく2011年8月10日、「Kis-My-Ft2」として正式にデビューするのです。